志らくは2008年に、新たなる段階へ達したと
落語通の方々の何人から聴いた。
志らくの新境地は、単にスピードや勢いだけで見せていく落語から、
さらなる高みに到達したと言われている。
劇場でもらった折り込みのリーフレットに志らく自身が書いていた。
「3月の銀座ブロッサムの『子別れ』をきっかけに落語が変化し
『鉄拐』でヒートアップし、10月の嵐山亭での『富久』で進化し、
高崎市での談志との親子会『紺屋高尾』で結果を出し、
12月の下丸子らくご倶楽部で奇蹟の『芝浜』を演じました」 と。
また、志らくがマクラの中で言っていた。
志の輔や談春も上手いが、談志と同じようなキチガイの噺家は志らくだけだ!
と師匠に言われたそうである。
談志・志らくと、それ以外の上手い落語家と大きく二つの方向に分かれているとしたら、
志らく、談志派は二人しかいないので、
大変であるというようなことを言って笑いをとっていた。
「たいこ腹」「天災」と演り、仲入り。
やはりスピード感のある部分が僕は好きである。
そこがやはり、志らく、らしいと思うし、
そんなことが出来る噺家は他にもいるのだろうか?とも思う。
そして、シネマ落語「ゴッドファーザー」が始まる。
元々の映画を見たのが20年以上も前だったので、
記憶が曖昧なまま、落語を聴く。
どこがどう映画の話をベースにしているのかがわからなくなる。
時々、知った落語の話が登場したり、
知った落語の登場人物などが出てきたりする。
志らくが登場人物を数えたら優に30名は越えているとのこと。
複雑すぎて理解を超える。
後ろに座っていらした妙齢の婦人などは、落語通なのであろう。
落語のネタが登場するたびに受けていた。
折込でも志らくが書いていたように、
今回の「ゴッドファーザー」は落語チャンチャカチャンであると。
まさに多くの落語が出てくるところはチャンチャカチャンなのだが
以前聴いた談志師匠の落語チャンチャカチャンのリズム感とは全く違うものだった。
それは「ゴッドファーザー」というストーリーから逸脱できないという制約が、
チャンチャカチャンのもっている自由さを奪ってしまったのではないだろうか?
と感じたのである。
そこがこの噺の難しいところだなと感じた。
そして終演後、志らく自身も語っていた、僕の演るものは
ものすごくマニアックになっていくのです。
それが僕の持ち味でもあるのですが、このことが
志の輔兄などと比べて、大衆性を持ち得ない理由のひとつでもあるのです。
と自分のことを客観的に分析しているもうひとりの志らくがいる。
そうした批評性を持ちえるところも談志師匠に似ているなあと思わせてくれるのであった。