「編集者という『病い』」(@太田出版)&(@集英社文庫)に次ぐ、見城徹の生きざまを描いた書籍第二段。
やはり圧倒的な努力をし続けている人の本を読むと元気をもらう。
3年前には、もう社長を辞めて悠々自適な生活を送ろうかと思っていた。
その見城さんが、いや、死ぬまで編集の仕事をやり続けようと思い立った。
そうして、彼はこれらの自分についての本を、勇気を持って出版することになる。
昨年の秋、日本コンテンツフェスティバルの一環で
「劇的3時間SHOW」というトークイベントがあり、
その中の1回として、見城徹の回があった。
その時のトークショウのタイトルがこの「異端者の快楽」だった。
見城徹の小さなころからの性癖とともにその快楽について赤裸々に描かれている。
何か欠如したものがそこにあり、その欠如したもの同士で一つのことを成し遂げること。
それを続けてきたことが見城徹という男であると。
本書には見城徹が様々なところで書いたり、発言したりしたものも掲載されている。
尾崎豊に代表される、編集者を超えた編集者としてのつきあいの話は重複する話であっても
何回聞いても面白いし、新しい発見がある。
それだけ作家と切り結んで命を張ってきたのだろう。
それが、今の結果につながっているのだと。見城さんは言う。
「見城さんは、運がいいですね。」と言われる。
しかし見城は、決してそれだけではないと言い切る。
圧倒的な努力があってこその結果である。と。
プロモーション活動は出来るものはすべてやる。
時にはリスクを背負って自ら大きな賭けをしてでもやることはやる。と。
その絶妙な大胆さと細心さのバランスを保ちつつ仕事をしてきたとおっしゃる。
その姿はどの業界にも当てはまるだろう。
特にものを作るという業界はジャンルが違っても同じことがいえるだろう。
新たな価値を生み出すためには、
Aという価値とBという価値の軋轢が起きるのは当然である。
その軋轢の間に入ってさらなる止揚(アウフヘーベン)を起こすことが
編集者には求められている。
プロデューサーも同じである。
編集者の仕事を見ていると、いつも思うのだがプロデューサーの仕事に似ていると思う。
そういう意味では本書は素晴らしいバイブルともなりえる。
圧倒的な努力とは、例えば好きになった作家、書いてもらいたい作家に対して
彼の全作品を読み、見聞きし、その作品に対してのことを踏まえてお手紙を出し続けること。
それを永続的にやっていく。そこから作家と会うことができるようになり、
飯を一緒に食べ、会話することによって作家をその気にさせること。
見城さんはその作業を圧倒的な量でやられているのだろう。
その量が伴うことによって、現在の姿があるのだと思った。
少しの作家相手に上記のようなことをやるのなら楽しいだろうし
簡単なことなのかも知れない。
しかし、見城さんはそれを200人近い人たちと切り結び続けているというのは
並大抵の努力ではできない。
ほんとうに24時間あっても足らないだろう。
しかし、同時にこの事実を聞くと励みになる。
自分でもっともっとやれることがあるんだと!
そのためには圧倒的な量の人に会い、勉強をし、
自分と組織と人間関係を高め続けなければいけないんだろうな!と思い、
勇気を奮い立たして前に進んでいこうと思うのである。