奥付に、昭和59年四月三十日発行とある。
1984年である。風間杜夫は1949年生まれ。
35歳のときの本。イ
ンタビューされたものの語り下ろしであろうか?
角川書店は、つかこうへいの本を10年間だったか
独占で出し続けるという契約を当時、
角川の編集者だった見城徹と交わしたというエピソードを読んだことがある。
風間はつかこうへい事務所に入って看板俳優となり、
映画「蒲田行進曲」の銀ちゃんの役は本当に素晴らしい当たり役となった。
本書は1982年制作の「蒲田行進曲」と
1983年から1984年まで続いた「スチュワーデス物語」の教官役で大ヒットした、
まさにその時に語りおろしたもの。
当時の若々しい勢いに満ちている風間さんの姿が見えてくる。
語り下ろしのいいところは、普段風間さんが話している口調が
そのまま紙面に反映されているので、まるでテンポのいい話芸を見ているようであること。
講談のような。落語のような。
1949年に東京世田谷の上馬で生まれた風間さんは、
子供のころから母親が芸能好きだったこともあり、児童劇団に入っていたそうである。
東映系の児童劇団だったので当時は、時代劇などを中心に
多くの映画に出演されたそうである。
京都の撮影所に1ト月もいたなどという、普通の小学生では
経験出来ないような経験を積んでいる。
しかし、あるとき風間少年は思い立ったそうである。
このまま児童劇団を続けていると駄目になる。
普通の少年に戻りたい!と思った風間さんは、中学高校と玉川学園に通う。
町田の手前にあるこの学園は、お金持ちのお坊ちゃんやお城ちゃんが
多く集まる学校だそうで、風間さんの家庭も十分裕福だったと思われるのだが、
相対的な比較でコンプレックスを感じていたようである。
彼は一念発起して別の大学に行くと決意し、
一浪して早稲田大学(二文)に合格する。もともと勉強ができる人だったのだろう。
もともとの才があっただろうことは彼の語り口を聞いていても想像できる。
そして学生時代は演劇活動である。
70年安保が全盛の中、彼自身はその活動には違和感を持っていたので、
自らは好きな演劇の道、俳優の道へ進むべくその道をひたすら邁進する。
劇団自由舞台というところで活動を始める。
1971年に仲間と表現劇場をつくる。
当時の仲間にシティボーイズの大竹まことなどがいたそうである。
そして、風間は1975年26歳の時につかこうへいと出会う。
風間はその少し前、25歳の秋に結婚している。
妻の話をしている部分がすごくいい。
風間を全面的に愛し受け入れる妻を見て、彼女を心の底からレスペクトし、
愛情のお返しをしようと懸命に向き合う男の姿が見えてくる。
その根本には俺と一緒にいるととにかく面白いぜというもの。
そんな男なかなかいない。
と同時に、こここれは銀ちゃんそのものではないか!と思った。
「娘たちの四季」というテレビドラマでTVのデビューをする。
自閉症気味な男の役だったそう。見てみたいと思った。
本書はこのあたりで終わっている、
が風間さん自身はそれからさらに25年間疾走し続けている。
今年、還暦を迎えまさにアラカン。
先日の山田太一のドラマ「ありふれた奇跡」も傑作だった。