「1Q84」を読了し、以前購入し読もうと思っていた
村上春樹についての長編評論を引っ張り出す。
ここには彼の生い立ちから、「アフターダーク」に至るまでの作品の軌跡が
ほぼ時間を追って書かれている。
英文の現代は「Haruki Murakami and the Music of Words」というもの。
著者のジェイ・ルービン(Jay Rubin)は村上春樹の著書の英文訳をしている。
本書を読んでいると彼の日本語の読み解き能力の凄さが伝わってくる。
結局、言葉を超えてのコミュニケーションは可能だということがわかる。
日本語の読み解き能力が生まれつき備わっている人でも
村上春樹のことをこれほどに理解している人の方が少ないんじゃないか!と思う。
彼は自らの努力で日本語を学び、そしてこのようなレベルまで達成した。
結局はそれを理解する人はどこにでもいるということだ。
村上春樹自身も英文の翻訳を日常的に行っており、米国の大学に何年か籍を置いて、
そこで執筆活動を続けたり、様々な英文のメディアにインタビューされたりしている。
そうして、彼のインタビューや創作は英文で流通している。
そこでは、日本語のインタビューでは語らなかったことなどもあるのかもしれない。
それをジェイ・ルービンは読み込んで本書に書いているのだろう。
こんなことまで知っているのか?という
いままで、知らなかったことがここに描かれている。
クロニクル的に書かれているので村上春樹とその作品を系統だって
理解しようとするのに最適な書籍だろう。
そうして、彼の生い立ちから、「アフターダーク」までを通して読むと、
「1Q84」が今、書かれたのは必然でもあるのだなと納得した。
本書には「1Q84」で描かれた情景や出来事、エピソードの原初がそこここに見られる。
物語を構築していくのに使われるモチーフは大きく変わらないものだなと思った。
リトルピープルの原初になるものが随分と前に小説で描かれていたのだということが、
本書を読むと改めて発見できることになる。(「踊る小人」1984年1月)
「羊をめぐる冒険」を創作する際、
レイモンドチャンドラーの手法を応用したというのが面白かった。
主人公が孤独な都市生活者であること。
それから、彼が何かを捜そうとしていること。
そして、その何かを捜しているうちに様々な複雑な状況に巻き込まれていくこと。
そして彼がその何かをついに見つけたときには、
その何かは既に損なわれ、失われてしまっていることです。
また、小説を書いているとき村上春樹は
これを書き終えるまで「死にたくない」と真剣に思いながら書いている。
芸術家が真剣に作品に向き合うということはそういうことなのか!と思う。
とともに、そうして紡がれた彼の小説が魅力的にならない筈はない。
好き嫌いが分かれても、好きな人はとことん好きになる。
そういった言葉で創作された芸術作品が、
読みやすく気持良い文体で紡がれる。
良く、言われることだが、村上春樹作品を延々と読んでいたいと思う。と。
その作品世界と文章の心地よさにいつまでも浸っていたいと村上ファンは思う。
しかし、必ず始まりがあるものは終わりがある。
その瞬間性を強く意識させるのが村上作品の大きな魅力なのかもしれない。
「ああ、もうすぐ読み終えてしまう!」
というような感慨を著者のジェイ・ルービンも強く感じており、
これは言語を超えて村上ファンの共通の特徴なのではないか!