民本主義を唱えた吉野作造とその弟のお話。
吉野作造は宮城県出身、仙台の高校を優秀な成績で卒業。
東京帝国大学法学部に入り、首席で卒業。
東京帝国大学の教授になる。
弟も同じ道をたどり、東京帝国大学を首席で卒業するが、
彼は官僚の道を選ぶ。
その、対照的でありながら似たもの同士でもあった10歳違いの兄とおとうとの物語。
井上ひさしらしく音楽劇のカタチをとりながら舞台は進んでいく。
井上ひさしは高校時代を仙台で過ごしている。
そのときの体験や経験が
この戯曲をここまでのレベルにしていったに違いないと思った。
2003年に読売演劇大賞に輝いた作品の再演。
見て良かった。
当日券で並んだ甲斐があった。
僕たちの前には御年70歳代のかくしゃくとしたおばさまが文庫本を読みながら
30分近くたちっぱなしで当日券をまっていらした。
僕たちは地面に「R25」を敷いて座りながら本を読んでいた。
6人だけの舞台。
吉野作造とその弟、吉野作造の妻と弟の妻。
彼女たちは実の姉妹でもある。
そこに様々な役割を演じる小嶋尚樹と宮本裕子がからんでくる。
時は、大正デモクラシーの巻き起こる関東大震災の前から、
満州事変が起こるあたりまでを中心に描かれる。
朴勝哲のピアノ演奏が聞こえてくると、ああ、井上ひさしの音楽劇を見に来たぁぁという気になる。
そして、登場人物が紹介され歌とともに舞台は始まる。
楽しく見られてポジティブで、しかもそこで描かれていることは深い。
社会的なことだけでなく、家族の話なども含めて人生の悲哀や機微が描かれる。
一緒に見た妻がサザエさんの世界だといったが、
確かにそのようなあっけらかんとした空気が流れている。
説教泥棒などはまさに、そう。
どっちが悪くてどっちが悪くないのかさへわからない。
とにかく、明日食べていくことが精いっぱいだった時代と人たちがそこにいた。
井上もそれを肌で体験している。
井上ひさしの展覧会が今年、仙台文学館で行われていたらしい。
劇場で、その時の展覧会の記念パンフレットが売られていた。
これを読んで井上ひさしの年譜などと照らし合わしながら、
この「兄おとうと」のことと関係付けながら帰りの電車の中で考えていた。
井上が本格的に舞台を始めたのは50歳のときだった。
そのことを知り、驚くとともに、演劇にはそれだけの魅力と深さがあるのだと思った。
そして、本舞台はその確信に値するものだった。
台詞を通じて、国家とか憲法などというものについて考える。
明治維新後、ドイツのワイマール憲法などをお手本に作られた
大日本帝国憲法の時代。
その時代の真ん中で国を動かそうとしている官僚の弟と、
現時点のシステムは、本当の人民のための憲法ではなく、
それを実現するためにはどうしたらいいのかの理想が吉野作造の口から語られる。
ご飯をちゃんと食べられて火の用心が出来ており
安心に明日も元気に暮らせる社会をつくること。
それに尽きる。
それを実現しようと人々が集まって何事かをやっていこうとすること自体が
国家であるということが語られる。
こんなにわかりやすく国家とは、ということを教えられたことがなかった。
国家は民族でも言語でも宗教でもくくれない。
兄とおとうとは生涯に6日間しか床を共にすることはなかったという。
その6日間のエピソードを中心に舞台が作られている。
総選挙を控えたこの時期に必見の舞台。
8月16日まで。