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今年で11回目を迎える山形国際ドキュメンタリー映画祭。 1989年のバブルの絶頂期に始まったこのイベントが きちんと今も続いて機能していることに賞賛を送りたい。 運営を続けていくのは並大抵なことではないだろう。 それを22年間も続けており、このドキュメンタリー映画祭は 世界でも有名なドキュメンタリー作品の集まるものとなった。 海外のドキュメンタリー作家は力作が出来ると、 この映画祭のコンペティション部門に応募する。 毎回1000本以上集まったコンペティション部門の作品から 厳選された15本を見る。 というのがインターナショナルコンペである。 下読みをすまされたものを見るのだから、どの作品もレベルが高い。 しかも表現スタイルが多彩で、扱っているテーマや国も多彩なので、 世界はこんなにも多様性に満ちているのかということを実感する。 とともに、世界は多様ではあるが、つながっており 世界的な潮流を誰も止めることが出来ず、 われわれはそこに巻き込まれていくのだということも理解できる。 多くのドキュメンタリー作品をまとめてみると そのようなことが見えてくる。 今の世界とは?ということが マクロの側面からとミクロの側面から見えてくる。 一昨年の映画祭(2007年)には、風邪をひいて行くことができなかった。 4年ぶりの映画祭。 今回の山形行きも、ある仕事のたび重なる改訂で、いけないかも? と危惧していたがギリギリのところで事態が収拾し、 何とか移動することが出来た。 山形に着き、ひんやりとした空気を胸一杯に吸い込むと 落ち着いた気持ちになる。 10月10-12の三連休、山形に滞在する。 ここで1日約4本のドキュメンタリー映画を見た。 4日で11本と半分。 12日の夜に半分観たところで新幹線の最終に乗って帰京した。 コンペ部門は15本。そのうちの11本を見ることが出来た。 あと1日あれば全部見られたのだが現実はそう甘くはない。 「Z32」「アポロノフカ桟橋」「稲妻の証言」「忘却」「要塞」 「生まれたのだから」「ダストー塵―」 「アムステルダム(新)国立美術館」 「包囲―デモクラシーとネオリアリズムの罠」 「Rip!リミックス宣言」「オート*メート」。 ここまでがインターナショナルコンペティション作品。 そして、日本映画監督協会製作の 「映画監督って何だ!CUT!」を途中まで見た。 「ダスト」では爆睡してしまったが、それ以外の作品はどれも面白く見ることが出来た。 しかしながら、ドキュメンタリーは密度が濃く、 特に外国語のものは、読み解くのが、字幕を見ながらなので集中力が要求される。 そういう意味では1日4本が限界かも。 ドキュメンタリー映画祭の猛者などは、共通鑑賞券のパスを首から下げて、 たくさんの映画をチェックし、走りまわっている。 そのバイタリティに敬服。 先日、この映画祭の結果が発表された。 大賞は「包囲―デモクラシーとネオリアリズムの罠」。 カナダの監督の手になるこの映画は全編、 学者などのインタビュー証言で記述されたもの。 モノクロームの画面からそしてその証言から 世界が「新自由主義」いわゆる「ネオリベラリズム」への道を 突き進んでいるという現実が見えてくる。 そして、この現実を知り恐ろしくなる。 ある学者が言っていた言葉が心に残った。 「問題を解決するチカラではなく、問題を提起するチカラが必要なのだ!」 と、いま、この世界のこのような状況でこのような問題がある! ということを認識し提起するチカラ? やってきた課題を解決する以前の 根源的な諸問題に対する認識から、それらの問題について考えること? このことについては、簡単には答えが出そうにもない。 しかしながら、この問いかけについて、 延々と考え続けることは大変意義のあることであると思う。 たとえば、今ある地球温暖化への取り組みについての 問題を解決することは重要なことである。 しかし、それ以前に、このままの暮らしを続けていき このままのペースで人口が増え続けていけば確実に温暖化が進むという問題がある。 と最初に提起することが重要であると。 それは数十年前から言われてきたことだったのかも知れない。 そのチカラが人類を根源的な部分で救う? のではないか?と彼は話していたのだろうか? 誰かきちんと理解出来た方がいれば教えてください! ハーディンが『サイエンス』誌に1968年に発表した 「共有地の悲劇」で既にそのような記述が出てくる。 しかし、われわれは、はアル・ゴアが映画「不都合な真実」を持って世界を巡る頃まで、 そのことについて真剣に認識しようとはしなかった。 ネオリベラリズムという考え方がわれわれを包囲する。 そのことによって市場原理が優先するだけの社会になり、 そのことにこの映画は警鐘をならす。 商業主義の行きつくところに未来はあるのか? 先ほどの学者は言っていた。 そのような環境になると、ヴィクトル・ユーゴやソクラテスなどを初めとする 芸術家や哲学者などは生きていけないだろうと! また、「Rip!リミックス宣言」は、 著作権(知的財産権)の問題を考える意味で刺激的なものだった。 ディズニーを中心とした著作権やキャラクターの保護に目を光らせる団体。 それは決してものを自ら作っている人が言っているのではなく、 既得権益を商売に替えるための人々の意見なのである。 ウォールト・ディズニー本人は決してそうではなかった。 そして音楽の世界ではレディオヘッドの例がここで挙げられていた。 ネット配信のみで音楽を売っていった彼らの曲をベースに 勝手にPVを作ってU―Tubeにアップした映像がある。 そしてそれが良く出来ている。 レコード会社は削除を求めて提訴したのであるが、 レディオヘッド自らがそれを許可するという宣言が出されたのである。 アーティストとはそういうものだし、 決して著作権保護期間をむやみに延長することが、 ものを作る者たちにとって幸せなものではないのかも知れないと感じているのである。 この問題はデジタル時代がすすんだ今、 さらに議論を重ねるべき問題であり、 そのことをみんなで考えるべきである。 少なくとも言えることは、子孫に美田を残す必要があるのか? ということ。 その他、難民問題を扱った「要塞」。 行政と住民との軋轢を描いた「アムステルダム(新)国立美術館」。 ペルーの政治と貧困層を淡々と描いた「忘却」などが印象に残った。 今後、これらの作品が東京を初めとした様々な地域で上映されるといいなと思う。 本当にこの、ドキュメンタリー映画祭は面白い。 ![]() メイン会場玄関。 ![]() ![]() 上映後、監督とのアフタートーク。
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