作・山田太一。今年の初めTVドラマ「ありふれた奇跡」で
久しぶりに山田節を聞いた。
仲間由紀江や加瀬亮などの若手ががんばって
山田太一の原作のセリフを喋っているのが印象に残った。
山田太一は時々、舞台にも脚本を書き下ろしている。
彼の書くものは、その年齢と時代に合わせて変化している。
しかしながら、描いているのは、いつも本当の心情の吐露であり、
ココロのぶつかり合いみたいなもの。
そこまでしないと人と人はなかなかわかりあえないことを
いつも山田太一は描く。
その関係が家族であっても同じこと。
人と人がどのようにつながっていくのかが、
山田太一の脚本の基本ではないかと思う。
彼の描く世界は、それを中心に描かれる。
人間関係の新たな発見と人間関係の新たなスタイルが
未来予想図のように描かれる。
今年の頭に、NTTドコモで山崎努や堀北真希などが出ていたCMがあった。
大きな洋館に様々な人が住むというもの。
あれの企画のベースになっただろう山田太一のドラマ「早春スケッチブック」などは
まさに、今流行しつつあるシェアハウスのことについてを、指し示すものではないのだろうか?
それは、単に江戸時代の長屋で人がつながっていたことの復権なのかもしれないが、
そのような、アクチュアルなつながりを
ゆるやかに求める時代に戻ってきたと言えるのかも知れない。
「早春スケッチブック」の頃にはそれとは間逆の価値観の方が強かった。
1983年の頃である、バブルに向けて日本が助走を始めたときだった。
今回の公演は2日だけサービスチケットデーというのがあり、
普段5500円のチケットがこの日だけ3500円で見られる。
しかも、プレビュー公演ではない。
同じ公演が安く見られるのは観劇モチベーションが上がる。
電話すると当日券がありそうだったので、東池袋へ急ぐ。
開演時間丁度に到着。
汗を拭き拭き、客席に。
あるマンションの一室が舞台。
そこにおじいちゃん(西本裕行)が訪ねてくるところからこの舞台は始まる。
おじいちゃんの息子(山口嘉三)が病院で軽い胃潰瘍と診断されたのだが、
彼は、それは嘘だ!自分は末期のガンだから
と言って信じない。
そのことを彼の妻(渡辺万沙子)とおじいちゃんが話している。
そこに近くで一人暮らしをしている長男(大学生)(鎌田翔平)が戻ってくる。
同じく学生の長女(上領幸子)が帰宅し、病院の先生(田中雅彦)が訪ねてくる。
自分は明日にでも死ぬかもしれないと思い込むお父さんと
その周囲とのドタバタから、「生きるとは」「死を意識するとは?」
といったことがあぶりだされる。
「死」を意識することによって
「生」を意識する。
そのことを山田太一はこのお父さんに代表させることにより
戯画化しながらも深淵なテーマに迫ろうとしている。
そこに、数十年前に亡くなった、彼の母親(一柳みる)が登場する。
おばあちゃんにあたる人。
彼女の姿はお父さん以外には見えない。
おばあちゃんは三途の河の向こうから呼んでいる。
この舞台のタイトルはそこから付けられたものだろう。
日常に流されていると見失っているものがたくさんあるのではないか!
という山田太一からの強いメッセージが聞こえてくる。
そのメッセージは象徴的なラストシーンからも窺える。
軽妙な舞台から、「家族とは?」とか「生きてるとは?」などの声が聞こえてくる。
単純に手を握りあい、思っていることを恥ずかしがらず、
口に出して言うだけでもこの世界は違ってくる!
そのことを、強く教えられた舞台となった。