本来なら、この公演、立川談志師匠の独演会だった筈のもの。
今年の真ん中あたりに談志師匠が病気療養に専念するために
来年の頭まで落語をやりませんと宣言したので、
夢空間も考えてこのような形の競演会にしたのだろう。
立川笑志、立川談笑、立川志遊、立川志らくの四人会である。
この公演はすぐに電話がつながったのでいい席が確保できた。
前から3番目。
三連休前の有楽町は人でごったがえしている。
混雑したエレベーターに乗りビックカメラ有楽町店の7階にあるよみうりホールへ。
僕たちの2列前の最前列には長髪のロック雑誌の編集をしていながら
落語に年間何百席も通っている、「この落語家を聞け!」の著者、
広瀬和生が座っていた。
まずは笑志、マクラがひょうひょうとしていていい。
春に大病をしたらしい。
後隔膜腫瘍?の大きな手術をして人生観が変わったと。
病気や事故をきっかけに人生観が変わる。
そして、そのことが笑志の芸に変化を与えたと本人が言っていた。
「幇間腹」。
趣味でハリを始めたケチな旦那が実際に試してみたくて
幇間(たいこもち)の一八を呼んで、ハリのまねごとをやるというもの。
続いて、談笑の「シシカバブ問答」。
「こんにゃく問答」がもとになっており。ここで出てくる八っあんを
バグダッドのハッサンというシシカバブ売りに役柄を変えてやる。
ムスリムの厳しい戒律を守ろうとする人ならとんでもない!
というような男たちが出てくる。
モスクを守るのに、酒を飲んで酔っ払って!ともうむちゃくちゃである。
禅問答のようなものも仏教的なるものとイスラム教的なるものが混じっており、
その無茶苦茶さがパンクである。
しかしながら、聞いていて、談笑は単に、
「こんにゃく問答」のパロディにするだけでなく、
かなり、ムスリム文化のことも勉強してこの噺を作っているのだなということがわかった。
その上で敢えてこのような危険なネタをやる。
その真意は?
仲入り後、志遊の「湯屋番」。
銭湯の番台に少しの時間だけ代りを務めた男の話。
この男の妄想が拡がっていく様を、志遊はオーソドックスに描いていく。
歌舞伎のお話がいくつか出てくる。
その語りの様子がなかなかいい。
この噺家さんを見るのは初めてだったが様子のいい人なんだな!と思った。
とともに今回の若手真打の中で最も若いと言っていたが
もっとも年長に見えたのは見た目だけではなく芸の様子もなのだろう?
京都で撮影された、50年代の日本映画を見ているような独特の風雅に満ちている。
トリは、志らく。
今回の講座は談志師匠が出られなくなった講座なので、
師匠にちなんで「らくだ」を演じる。
しかし、最初、屑屋が出てきて、「井戸の茶碗」の出だしとなってしまう。
どちらかをやろうか最後まで悩んだそうである。
その葛藤が、この出だしになってしまった!
ということを「ドキュメンタリーだ!」などと師匠の物まねをしながら批評的に語り、
乗り切る志らく。
そしてこの「らくだ」が凄かった。
噺のスピード感と屑屋の描写がいい。
らくだの弟分にあたる男が屑屋に様々な注文をつけて
「らくだ」の通夜を準備する。
通夜の用意が整って、お酒を飲みだし、徐々に変化してくる屑屋が本当にいい。
彼の本音がお酒のチカラを借りて出てくる。
そのどうしようもない「らくだ」の所業が、
屑屋の言葉から見えてくる。
屑屋の苦しみはいかばかりのものだったのか?と
しかも、そのらくだの通夜の席。無条件にらくだを
受け入れるカタチとなる。
おかしさを越えて感動的なものになってくる。
その後も斎場で死体を焼きに行くところまでシュールな話が続き、
そのシュールさが笑いを誘う。
志らく、渾身の一席だった。