野田秀樹作・演出で行われた初演はシアタートラムで10年前だった。
深津絵里の太ももに魅惑された人(女子)から
それを見た話を聞いたことがある。
深津絵里27歳の時のことである。
今回、芸術監督である野田秀樹の本拠地、
東京芸術劇場で松尾スズキ演出で再演が行われた。
ヒロインの「農業少女」は21歳の多部未華子。
今回は多部ちゃんの太ももに魅了されるものが
たくさん出て来ることだろう。
彼女が15歳で上京してくる女性を演じる。
いまでも十分に15歳の役が出来る彼女は、
年齢不詳で、その独特な顔立ちは可愛く見えたり、
きびしさが見えたり、時には大人びて見えたりすることもある。
その少女に翻弄される男が山崎一である。
その少女に全く違う価値観を与え違う世界を見せるものとして吹越満がいる。
ウラジミール・ナボコフの「ロリータ」を思い起こさせる山崎との関係。
中年男が多部ちゃんに夢中になっていく。
江本純子はこの舞台の中で様々な変化する役を演じる、
狂言回しあるいは道化の役。自由でいい。
随所に松尾スズキのくだらなーい遊び心が見えて来る。
舞台はまるで稽古場のように作られている。
むき出しのベニヤ板や角材が組み合わされている。
舞台中央部に小さな物置みたいなものがあって扉がついている。
その扉を開けて、俳優はあちらの世界にいったり
こちらの世界に来たりする。
ドラえもんのどこでもドアみたいな機能を果たしている。
百子(ももこ)という名前の少女(多部)が田舎から上京する。
彼女は農業がいやになっていた。
そして都会で山崎一に出会い、彼の庇護のもとで自由に過ごす。
農業少女は様々な発見をする。
そして自由でアバンギャルドな男、吹越満と出会う。
彼はAV監督からヴォランティアの指導者を経てついには政治の道へと踏み出す。
そのときに吹越の合わせ鏡のように語られるのがアドルフ・ヒットラーである。
時代の気分がファシズムを作るという別のメッセージが並行して描かれる。
彼女は吹越に惹かれていく。
突然、彼女の耳が聞こえなくなるシーンがある。
そのシーンから一気に抒情性が高くなる。
彼女の発声は耳が聞こえない人が懸命に声をだしているよう。
その懸命な演技が抒情性を増す。
現代の都会に完全には順応できなかった彼女がある臨界点を超えたのだろう。
結局は農業というところに戻っていくのか?
そのことは自分たちに置き換えられ考えさせられる。
現代社会でストレス耐性を高く保ちながら暮らしていくこと
と、地道ではあるが農業というベーシックな道を模索するのか?
そして舞台は、様々な謎を残して終わる。
印象的なセリフがあった。
「農業は劇的でない。」
当たり前といえば当たり前だが、それを演劇の場で語られることが面白い。
最初、松尾の演出を受ける多部は本当にビビっていたらしい、
稽古場初日には、おどおどとしていた多部ちゃんが
こうして稽古を経て力強く印象的な初舞台を残せることになって
本当に良かった。