作・演出の中屋敷法仁は今年26歳!
この若い才能はいったいどこまで伸びていくんだろう!と末恐ろしくなる。
高校演劇大会で最優秀脚本賞などを受賞している。
「渡辺源四郎商店」主宰の劇作家・演出家であり
高校教師である畑澤聖悟に劇作を師事したそうである。
若きサラブレッドは毎回新しいことに挑戦し、
今回もその挑戦を続けている。
本作はBeSoTo演劇祭の一環であり、韓国の劇団員3人に
中国の俳優二人を加えての舞台を作り上げている。
彼らの実制作でのコミュニケーションのベースは「つたない英語」だった。
その「つたない英語」が通訳を介して伝えるよりもより
強く深く速く伝わるということが興味深いエピソードだった。
先日、ニューズウィーク日本語版を読んでいたら、
イングリッシュからグロ―ビッシュへというタイトルの特集が組まれていた。
Globishはグローバルイングリッシュからの造語らしいのだが、
セカンド・ランゲッジとしての英語を語り、コミュニケーションをすることが
一般的になり、それらを道具として使いこなしていくことが、
今後の社会で生きていくために必要になってくるんじゃないか!というもの。
単語数は1500ワードを基準としている。
ニューズウィークに書かれていた文例を読んだら
その言語で書かれたものは確かに簡単で読みやすい。
そして、それで伝えたいことは伝えられるのだ!ということも同時にわかる。
ユニクロや楽天が会社公用語を英語にすると言い始めた。
また、日産自動車はゴーンさんがやってきて会議などは英語で行われている。
賛否両論あり英語を使わないで生きていくガラパゴス化のメリットも
内田樹のブログなどで読んでおおいに共感したりもした。
しかしながら、さらに根本のところで
ヒトはヒトに興味があり国や言語が違えども
コミュニケーションを何とかしたいという想いにかられ、
コミュニケーションが成立すると嬉しい。
つながっていることが嬉しいのである。
映画の「ET」で少年とETが指と指をくっつけあうシーンがあり印象的だが、
まさにそうしたことを行いたい、と思うのもヒトの本能であるだろう。
中屋敷法仁が折り込みに素敵な言葉を書いていた。
「文化の壁や言葉の壁なんて本当に存在するのだろうか?」というものです。
幸せなことに(或いは不幸なことに)、私はこれまでの人生で、
一度もそんなものを感じたことがありません。
それらはすべて、誰かが生み出した“幻想”だとしか思っていないのです。
今回の現場でも、その幻想は打ち砕かれず、
むしろ確信へと変わっていきました。
「人と人は、文化や言語によって隔てられない」
「人はみな同じ。分かりあえないことなんてない」
こんな幼稚なことを盲信している私たちの姿を恥じず、
媚びず、素直にさらけ出したいと思います。
まさに、この言葉からインスパイアされた世界が展開され
各国の俳優たちがそれに応じる。
「つたない英語」がこの舞台のベース言語になる、
それにときどき日本語や韓国語、中国語が使われる。
十数分過ぎたあたりから舞台に集中してその世界に入り込んでいくこととなる。
伝えるということは分かりあおうとする意思であり、
それは国が同じだろうが違っていようが
同じだという逆説的な提示がなされる。
その恐ろしいほどの読後感に持っていく中屋敷の手業に驚く。
映画「告白」にも似たある種の強さを秘めた舞台だった!