岩手県に「風と森の学校」というNPOがある。
その代表の吉成さんは都内から岩手に移り住んでこの活動をしている。
その吉成さんが感銘を受けたのが、宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」と聞いて、
図書館に注文。こうした古典と呼ばれるものは
幾つかの種類の蔵書がありすぐに借りることができる。
子供も読めるように全ての漢字にルビがふられている。
巻頭には棟方志功の「雨ニモマケズ」の
1952年に作られた版画が掲載されていた。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク決シテ怒ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル。
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ、
アラユルコトヲカンジョウニ入レレズ
ヨクミキキシワカリ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ。
南ニ死ニソウナ人アレバ行ッテコワガラナクテモイヒトイヒ
北ニケンカヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ、
ヒデリノトキハナミダヲナガシ、
サムサノナツハオロオロアルキ、
ミンナニデクノボウトヨバレ、
ホメラレモセズクニモサレズ
サウイウモノニワタシハナリタイ。
宮沢賢治はその生涯を37年で終える。
晩年のといっても三十代半ばの病床生活の時に
この「雨ニモマケズ」のメモを書かれていたそうである。
東北の冷害が起きやすい風土の中で
懸命に農業の指導を行いながら創作活動を続けていた
この男に対していまも多くの人が敬愛の念をもっている。
自らは若くして病苦に倒れたが、彼の残した言葉は
こうして幾世代にも伝えられる。
そういう意味からは人生の長短など関係がなく
与えられた一生をいかに懸命に生きるかなのだな!
と思い知らされるのだった。
岩手のNPO「風と森の学校」は子供たちを山中の施設に呼んで、
子供たちに様々な自然との付き合い方やエコロジーな生活というものを教えている。
そこで子供たちは実際に体験するのだ。
その理事長の吉成さんは、グスコーブドリのようにこの地域に貢献していきたいという。
それは命を賭してでもという決意と同義であるのか?
グスコーブドリは自ら火山の中に入っていく。
これって「鉄腕アトム」の最終回と同じじゃないか!と思った!
手塚治虫先生はこの物語が頭の隅にあったのか?
それとも?自らの命と引き換えにその地域や国や地球を守ること。
ヒーロー像とはそういう人のことを言うのだろうか?
ヒロイズムが自己犠牲の上に成り立っているのかどうかは、
大いなる議論の余地があるのだが、
愛する心からその気持ちが生まれてくるのも同時に言えるのである。
吉成さんのグスコーブドリに対しての考えは少し違っている。
命が循環して生き続けられればいいや。
そこで少しだけユーモアがあればいいや。そんなことを感じられたそう。
決して自己犠牲の肯定ではない。
宮沢賢治は大変な苦労をしながらもたくましく生きて行った
グスコーブドリのような生き方を、ある種のリアリティとともに
人生の基本とされていたのかも知れない。