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F/T10での新たな試みが始まった。シンポジウムとテアトロテーク。 シンポジウムは毎回2時間びっちりとパネラーの人たちが話をする、というもの。 ツイッターでフォローしている方が何人も参加されていたことを知った。 劇場に居るだけでは一体誰が来ているのか、わからない。 ツイッターで近くに居たことを知り、 そうしてゆるやかなコミュニケーションを見つけて楽しくなる。 そう、人はコミュニケーションを求める動物なのかも知れない。 今回のシンポジウムで北川フラムさんがおっしゃっていた言葉が印象に残った。 瀬戸内アート祭の豊島(てしま)での話。 ここはアート作品がいくつも置かれている島となり、 島外からアートを見学に多くの観光客いや観客?が訪れてくる場所になった。 そこで不思議な現象が起きる。 民家の人たちが軒先に大きなプラスチックの水槽を設置して そこにコーラやお茶などの飲み物を冷やして売っているそう。 それの入手方法は何と!近くの自動販売機で、 それらの飲み物を買ってきて同じ値段で売っているのだという。 彼らには一銭の利益も入らないというより 彼らの手間や氷代、水道代などで実質赤字だろう。 しかし、それは自然に島全体に拡がっていったと聞いた。 彼らはそれを観客に売ることによってそれを通じた コミュニケーションをしたいのである。 良く海外に行ってバザールや屋台街などで つまらない菓子や、変なTシャツなどを買ってしまうのも同じことかも。 観光に行った僕たちは買い物をすることによって 現地の人たちとコミュニケーションをしたいのだ! それが豊島では提供者が行っている。 ここに今回のシンポジウムのテーマ「公共性を考える」ことの あるヒントがあるような気がした。どうでしょう? 内野儀の司会でシンポジウムは始まった。 舞台芸術、文化、あるいは芸術文化あるいは文化芸術における公共性とは何か? という内野氏の仮説をもとにして、 内野氏の仮説は椹木野衣氏の言葉「ゼロからはじまる」という言葉を受け、 舞台芸術を中心とした芸術文化は、 その制度論、現場論で語られていることが多かった。 ただ、そこにおける思想哲学の欠如、倫理責任感が抜け落ちているのではないか? という提言があり、その仮説をもとに話が進められた。 話が進むにつれ過激とも思える話が出たりして 独特の緊張感とともに知的に刺激されるものがあり、 これはまた別の舞台を見ているような感覚があった。 というのも俳優が凄いようにパネラーのメンバーが凄かった! 北川フラム氏、は「越後妻有アートトリエンナーレ」や 「瀬戸内芸術祭」の総合ディレクター。 加藤種男氏は、アサヒビール芸術文化財団の事務局長をしており これまで、様々なアートへの支援を行っている。 そして相馬千秋氏はまさにこのF/Tのプログラムディレクターを三期に渡って続けている。 こうした現場最前線で奮闘努力している人たちが 一堂に会し自らの考えとともに どのようにアートマネージメントを行っていくのか?という提言をするのである。 そこで「何が公共性か?」という問題が出る。 加藤さんが面白いことを言っていた 「舞台芸術と経済のジレンマ」 という本があるらしいのだが その中で筆者は、作ることにかかる経費よりもチケット収入が少ないというものは 明らかに公共財である。 だからして、そこには、公的資金を投入しなければならない。 という論理。 この論理が一般的にコンセンサスが取れているのかどうだか? というのも今回のシンポジウムで議論されたことであった。 社会が進化していくと いきおいそこの環境では、労働生産性が高いものだけが生き残るということになる。 ということはそこには多くの人間がいらないということである。 今の、JALが人が多すぎて、さらに減らさなければならないというのはまさしくそのような状況。 そして同時に雇用創出が必要であるという声が確実にある。 この芸術文化はもっとも労働生産性の悪いものの一つ。 特に舞台芸術などたくさんの人が長い時間拘束されて懸命にやっている。 見る人はそれで満足を得て感情が動かされる。 そこに価値がある! アートを通じて人類は地域社会は豊かに幸福になる! という前提があるから故なのだが。 そこの認識がきちんと取れていれば問題がないのだが、 そうはなっていないという現状も確か。 話はアーティスト側にも問われる。 人の気持ちに残る人の気持ちを動かすアート作品をちゃんと作って来ているのか? 見た人が本当に深く印象に刻めるものがあれば良し! それには公共的な役割が確実にある。 ゆえに公共財を投じる価値がある。 同時に加藤さんなどは言う。 この国は支配層が独自の文化をもたなかったと。 支配層が持つということは、 言い換えるとお上がその資本で文化を支援するということである。 そこから多少、難解ですぐには理解できないけど 人の中に深く残るものの価値が認められるものが出てくる。 そのようなアートについて無私の応援すること。 ということが、アートを支援するという観点では非情に重要なものであると。 バラエティ番組との対比のような話にもなったが その大衆性と人々にアートを伝えて行く深さと どちらを中心に考えていくのか? という話になるのだろうか? バラエティ番組はスポンサーが付き民間で賄えているからいいのである。 それとは違うベクトルの価値と強さを持った表現に触れる機会を増やすことに 公共財が投じられる意味はさきほどの豊島でのコミュニケーションをする というのと同じように価値のあることのような気がしている。 この問題に結論は出ないだろう。 とにかくやり続けながら考え続けることによってしか 何らかの方向性は見えてこない。 という意味でもこのシンポジウムは、相当に刺激的だった。 瀬戸内の豊島(てしま)とまさに同じ字を書く豊島区も豊島になる日は近いのか!
by haruharuyama
| 2010-11-12 08:33
| 舞台
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