タイトルがいい。
現代を的確に捉えた言葉であり、
いま、この国に住んでいるものならピーンとくる。
高度経済成長を経てバブルを体験した世代、
戦後すぐに生まれた団塊の世代たちは
定年を迎えはじめ65歳の年金受給が始まる。
そして、それに続く60歳前後の世代が
大量なヴォリュームゾーンにある。
彼らは、この後どうするのか?逃げ切ったと本当に言えるのか?
この国が疲弊したことを感じていて
本当にそう思えるのか?
逃げ切るということは後に残したものを
犠牲にするという意味も含まれる。
犠牲にして残してきたことによる悔恨は生まれないのか?
同時に、このタイトルの句点以降の言葉「欲望のない若者たち」は
ほんとうに若者に当てはまるのか?
なぜ、若者は欲望がなくなってしまったのか?
村上龍は欲望を持ち続けるということが
良く生きるための原動力であると語る。
なんだか、わからないけど、ある欲望を満たすことによって幸せになること。
成城石井での日本酒を買いに来たおじいさんの話が印象的だった。
おいしそうな高級な日本酒をおじいさんがレジで並んで買い求めようとしていた!
おじいさんは日本酒と一緒に手にカラスミを持っている。
カラスミを軽くあぶって日本酒で1杯と、考えているのだろうか?
その、おじいさんの顔が妙に良かったと。
その表情が、若者にはなくなっているのだろうか?
若者は自分たちの世代が傷つかないようにしようと、
懸命に防波堤を張っているのではないだろうか?
有名大学を出ても就職が出来るとは限らない。
バブルの頃の話を聞いてもまるでおとぎ話のようにしか聞こえない。
車は必要ない。お酒も飲まなくてもいい。
それで十分である。
大人しく内にこもり、静かなコミュニケーションだけが残ればいい!
という若者たちは、確かに増えているのかもしれない。
しかし、そんな若者たちだけでないことは村上龍もわかっている。
同時に、逃げ切ることだけを考えている
中高年ばかりじゃないということも知っている。
これは、みんなが、ある種の危機感をどう持つかということにつながる。
そこから新たな起業をするものが生まれたり、
定年後に新たな活動をし社会貢献する人が増えたりということが
起きてくるのだと思う。
ここにはサラリーマン的な考え方を捨てよう!
ということが語られているのではないだろうか?
「寄らば大樹」では、もはや、なく、自らの意思で
未来を切り開いて行こう!
という力強さを持つべきだと村上さんは語っているのだ。
村上さんが自ら興した電子出版の会社などは
まさにそのことを実践するような具体例だろう。
このタイトルから逆説的に見えてくるのは
「決して、あきらめない」ということなのではないだろうか?
諦めてしまうと
「逃げて」しまったり「欲望がなくなる」
という状況になってしまう。
引用する、
この国はゆっくりと衰退に向かっている。
しかも誰もがそのことに心の底で気づきはじめている。
(中略)
どの集団に入れば人生を有利に生きられるか、
という問いそのものが意味をなさなくなった。
有利に生きる、成功する、金持ちになる、
という目標をまず捨てることが重要だろうと思う。
成功を考えてはいけない。
考えるべきは、死なずに生き残るための方法である。