今回の震災で4回公演が中止になったと聞いた。
最初は、3月11日の夜公演。
そして、翌日3月12日の昼夜公演。
4回目は大規模停電が起きると報道されて夕方以降電車が
混雑して大混乱した3月17日の夜公演。
ツイッターでこの日は公演をするのかどうなのか?のお知らせが来た。
判断がギリギリになってみないとわからない状態が続いた。
ツイッターでフォローしていない人はこういったときに
情報をどのように受け取っていったのか?
HPのNEWSを修正していくのも最低のHTML言語などの知識がいるし。
携帯電話などから簡単に発信することは難しい。
そういう意味で今回の地震での情報発信で一番活躍したのが
このツイッターかもしれない。
この機会にツイッターを始めた方も多いだろう。
災害の緊急時に携帯電話の音声通話が
これだけ使えなくなるのかということを実感した。
そして、携帯メールやツイッターなどのデータ通信の有効性を感じた。
ただ、実際に被災された場所はどうだったんだろう?
電気が来ていないということは電波が
携帯の無線基地局に飛び交うことができないのかも?
そういう意味ではアナログな携帯ラジオなどが有効になってくるのでしょうか?
どうなんでしょう?
高円寺は週末のおだやかな陽気に包まれていた。
沈丁花の香りが漂っている。
この花が香りだすと転校や引っ越し、新学期、新年度の感じがする。
新たな生活が始まる。
「春の予感」という尾崎亜美の曲を思い出す。
この座・高円寺は最近建てられた建物で耐震設計が十分にされている。
確かに頑丈につくられているような気がする。
舞台の開演前に、主宰の鈴木聡が挨拶をし、
そして制作の山家かおりが非常時の誘導に関して説明をしてくれた。
ある大きな旧家での話。
中庭には畳1-2畳分くらいの金魚の池が掘られている。
鈴木聡の戯曲に通底しているものがある。
自分に素直に自由に生きてみよう!ということ。
そのメッセージはどの舞台を見ても鮮明であり、
14年前に書かれた今回の舞台もやはりそうだった。
社会人としての事情や大人としての事情があって
わたしたちは自分に嘘をついて生きて行かなければならない時がある。
しかし、鈴木聡は本当にそれでいいのか?
安定していると見えている自分の生活や生き方を、
勇気を持って変えてみないか!と語っているようだ。
その変化の瞬間がいつも鈴木の舞台にはある。
現実世界で生きているとなかなか出来ないことがここでは行われる。
それが劇的ということにつながる。
この感覚は映画のロマンチックコメディと呼ばれるジャンルにも似ている。
50年代の米国映画。
ビリーワイルダーなどが描く世界。
男のロマンみたいなものがそこに現れる。
全てを投げ打って恋に生き立っていいんじゃない!
その勇気を与えてくれるのが本作では庭の金魚だった。
爽やかな気分になった。
客演の遠藤留奈が亡くなったおじいさんが突然お店にこられなくなった
と言って言葉を詰まらせるシーンにググっと来た。
思いが溢れると言葉が出なくなる。
今回の震災で何度も感じていることだ。