新宿の紀伊国屋を歩いていると、この演劇のポスターが貼ってあり、
初日が延期されたと書かれた紙が貼ってあった。
「!」。
脚本の完成が遅れたのか?
あまりに膨大なセリフ量だったので稽古が行き詰ったのか?
それとも?
主宰者は15公演あるうちの3公演の中止を決めた。
チケットの払い戻し、そして振り替え。
3公演分の赤字の補填などなど様々な要件が起きたことだろう。
しかし、それを補って余りある素晴らしい舞台だった。
坂手洋二の傑作戯曲となったし、藤井ごうの演出も素晴らしかった。
何よりあの莫大な台詞を叩きこんだ
青年劇場の俳優たちに感謝。
沖縄問題を深く理解し考えさせられる舞台だった。
坂手はこれを書くにあたって莫大な資料にあたったのだろう。
沖縄問題はとても一言で語れるような問題ではない。
昨年、那覇マラソンに行って現地の人と話をし、
平和祈念資料館に行った時の記憶は今も新鮮に自分の中に残っている。
そこで、沖縄の問題は一筋縄では語れないことを実感。
戦前から続く琉球王国への侵略、内地の軍部が太平洋戦争でやってきて
日本の文化や考え方を押し付ける。
しかも首里城に拠点を構える。
東京で言ったら皇居に構えるようなことである。
日韓併合や台湾などで行って来たことと同じことを沖縄でもやっている。
やられた方の気持ちはどんなものだったのだろうか?
坂手洋二らしい膨大な事実をベースにして、
その事実を登場人物に語らせる手法。
坂手は過去に沖縄をテーマにした沖縄三部作を書いている。
その時の固有名詞が実名でたくさん出てくる。
そこに住み生きる人々の記憶の集積の言葉である。
特に上原重臣を演じる吉村直のセリフ量は膨大だった。
青年劇場の芝居を初めてみたのだが、
俳優さんたちが達者で年齢層も幅広く層が厚い。
見に来ているお客さんも年配の方がとても多かった。
次々と語られる基地とともに生きる街の真実。
矛盾を抱えながら生きている人たちは、
そんな大変なことを背負っていることが見えないくらい明るい。
沖縄はまだまだ戦後をひきずって生きているのだなと実感した。
普天間問題は、いまだ戦前の日本が行って来たことが
精算出来ていないということであり、
駐留後の日米の根本的な問題を引きずっている。
ここに出てくる登場人物たちは
この普天間の問題を決して人ごとでは語らない。
自分たちの問題として真摯に向き合う。
真摯に向き合うからこそ悩み苦しむ。
それを、長く生きて来たおじいやおばあが
自分たちの体験を交え若者に伝える。
歴史があってそれを知り未来を生きる若者たちが考え行動する。
完璧なコミュニティの世界がそこに拡がる。
実際に置かれた環境は大変なのかもしれないが、
多くの人が集まり繋がってみんなで考える場所がそこにはある。
ある種のユートピアが、虐げられた劣悪な環境の人々の中から生まれてくる。
何度も再演して欲しい。