東京タワーの下にこの広場はある。
ちょうど「うかい亭」のある反対側に位置する。
その広場に休日の夜7時、若者たちが続々と集まって来た。
F/T11公募プログラムの一つ。
今回のF/T11は野外劇が多い。
実行が困難な野外劇をこんなヴォリュームで行ってくれるのもF/Tだからこそ。
夢の島、豊洲、西武池袋の屋上広場、そして芝公園。
都立の施設がこうして自由に使用できるのは強い。
行政の後押しがこうしたことを可能にしているのだろうか?
会場に入ると大きな「ピーチャム・カンパニー」と書かれた
看板が掲げられている。
看板はやぐらの上に取り付けられていて
そのやぐらの各所にテレビのモニターが置かれている。
砂嵐の画像がモニターから流される。
東京タワーから発していたテレビ放送の電波が
これからは東京スカイツリーから発せられることになった。
東京タワー本来の役目は2011年7月24日の
地デジ化とともに終わる。
その東京タワーの目の前でこの公演は行われる。
とても演劇的である。
いまここで起きていることに立ちあうこと。
それが演劇を見るということ。
オープニングからいきなりつかまれる。
モニターからは、放送終了時に映される国旗の映像が流れ
音楽が大音量で流れる。そして俳優たちが登場する。
野外劇なので声も動きも大きい。俳優たちは大変だ。
2トントラックや黒塗りのタクシー、大八車や自転車などが
この広場を縦横無尽に走り回る。
マイクを効果的に使用して聞こえにくいというようなデメリットを克服している。
さらに音楽の多用によって生理的な感覚に訴えかけてくる。
選曲が良かった。
若い作家たちの選曲はとてもメジャー感のあるJ-POPだったりする。
J-POPももはや死んでいるという意見もあるが、
こうした公演で流されるととても有効。
先日観たロロもそうだが、その選曲を聞きにいくだけでも
若手の作家の公演を見に行くのが楽しくなる。
物語は現在の話のようにも見えるし近未来の話のようにも見える。
ジョージ・オーウェルが「1984年」のことを描き、
スタンリー・キューブリックは「2001年」のことを描いた。
結局、現実はそうはならなかったが
それを語ることを通じて意味することが
いくつか現実のものになっているということも事実。
この日は東京タワーの後ろに半月がくっきりと出ていた。
東京タワーの左側にいた半月は終演間近になると右側に出てきていた。
ここで描かれるのは、福島のことであったり、
その20キロ圏内に鎖に繋がれたまま放置されてしまったイヌたちであったり、
フランダースの犬のネロとパトラッシュであったりする。
地デジ化になった日本と地デジ化が延期された東北三県。
そして米国の侵略などなど多面的に描きすぎたきらいもあって
収拾がつかなくなり破綻しそうになりながらも
なんとか前へ進んでいったのがとても良かった。
ここにはアングラ的なエネルギーが満ちている。
現在的なアングラの表現?
唐十郎がこれを見たらどう感じるんだろう?
そして寺山修司は?