立川談志の訃報を聞いたのは、11月23日の吉祥寺シアターだった。
俳優の内田淳子さんがツイッターを見て教えてくれた。
いつも「死ぬ、死ぬ」と言っていた家元が実際に死んでしまうと、
ああ、本当に死んでしまった!と何とも言えない気持ちになった。
また一人の天才が亡くなった。
革新的な人が亡くなったと言う意味では
スティーブ・ジョブスの死にも似ている。
落語界はこれから、新たな立川談志的な人が現れてくるのだろうか?
革新的な事項は一人の天才(いいかえると気狂いとも言えるかもしれない。)から
始まる。
その周囲にいる人たちは大変な想いをするかもしれない。
そして、その革新的な天才は
多くの人に嫌われるかも知れない。
しかしそうして自分の信念を貫き、わがままに生きて来たという意味では
とても人間的な人たちであるとも言えるだろう。
もちろん天才は大きな失敗も繰り返す。
その繰り返しの中から
大きな歴史的なものが残される。
そこに向かい挑み続けて来た人。
その中の一人として立川談志については語り継がれるだろう。
と書いて見たものの、僕自身、長年の落語ファンではない。
家元の噺を初めてライブで聴きに行ったのは、浅草の5656会館だった。
その頃、丁度、立川談志の本「立川談志遺言大全集」が出たばかりの頃なので
2002年か2003年だったように思う。
快楽亭ブラックも同じ高座に上がっていたころだった。
その後、「タイガー&ドラゴン」(2005年)という噺家を主人公にした
クドカンのドラマを見たころから、落語って面白そうだな!と思うようになり、
個人的に落語をたくさん見るようになった。
なので、まだまだ、駆け出しの身ではあるが、その後
立川流そして立川談志を見るにつけ、立川一派がどんどんと好きになる自分がいた。
そのアバンギャルドとも言える精神と世間に立ち向かい続ける魅力、
そして強い批評性がとても自分の嗜好に合うなあと感じていた。
最初の5656会館で高座を終えて幕が閉まろうとすると幕が下りるのを制止して、
今やった自分の落語についての批評を語りだす。
高座の後すぐにこうして客観的な視点から自分の落語を分析出来るものなのか?
と驚いた!
その後、いくつかの高座を拝見し
数年前のよみうりホールの「芝浜」に立ちあえることも出来た。
幕が閉まる時に「ありがとうございました」と家元が言った。
あれは、一体だれに向かっての言葉だったんだろうか?