この演目は10年前に初演されたもの。その時も本多劇場だったような?
10年ぶりに見て、
そのあまりのバカバカしさと面白さに、ああ、やっぱりKERAは面白い!と思った。
笑いの壺が自分と近いのか?ファンだから面白く見られるのか?
同世代でこのようにお笑いをやり続けている人がいてくれて本当に嬉しい。
喜劇人として誇りをもってバカバカしいことをやり続けてくれている。
それは、前作の「奥様お尻をどうぞ」でもそうだった。
やはりナイロン100℃は、素敵だ。
演劇の中の自分の原点みたいなところがある。
初めてナイロン100℃を見たのが1995年の「フローズンビーチ」だった。
ブラックでナンセンスな物語とお笑いの要素が混在した素晴らしい舞台だった。
あれから16年。その間、KERAは演劇界のトップを走り続けている。
1970年代のパリのモンマルトルにある小さなカフェがその舞台である。
そこは、パリに住んでいる自称芸術家の日本人たちが集まる場所。
男ばかりの演劇である。
みのすけ、三宅弘城、大倉孝二、廣川三憲、吉増裕士、喜安浩平、
そして客演の温水洋一と山﨑一が出演している。
そこで描かれるのは、どうしようもないギャグの応酬と、
芸術家としての苦悩という、相反するような要素が並行して語られる。
俳優たちの芝居がこなれており、見ていてとても安心する。
面白いことをやるときのリアクションや間の取り方の上手さに感心する。
思わず笑ってしまう場面がいくつもある。
KERAは、文脈を上手にずらして笑いにしていく。
ナンセンスな笑いの基本である。
その基本がきちんとできており、それを再現できる俳優たちがいる。
廣川(売れない小説家)の歌詞は、「泳げたいやきくん」に敗れ、
山﨑一の描いた絵はひょんなことで破られ、
そのことでこの絵は、評判となり世間が高く評価する。
その評価は一時的なブームだとわかっており
自分の作りたいものと世間の評価とのギャップに山﨑は苦しむ。
画商の喜安は、世間の評判通りに山﨑の作品をプロデュースしていく。
みのすけは芸術家としての目が出ずに
LSDなどの薬におぼれて自分を見失ってしまう。
芸術を作るとはどういうことなのか?
商業と自己実現の関係とどのように折り合いをつければいいのか?
KERAが10年前に直面していた様々なことが
ここで複数の俳優の声を借りて語られる。
答えはない。そして死は突然やってくる。
では、どのように生きるべきか?
そういったことを自身に問われるような気分になる。
震災後の私たちは、「どのように生きるべきか?」をよりリアリティをもって考え始めた。
KERAはこのように書いていた。
3・11以降、より顕著に絶対的なものの不在を感じているのは、私だけではないだろう。
と。
本公演は東京公演を終え、これから、北九州、名古屋、大阪、広島を回る。