ハンガリーとルーマニアは隣あっている、ということすら知らなかった。
チェコとスロバキア、ウクライナを北に
ブルガリア、セルビアが南にありその間。
ハンガリーとルーマニアの間にトランシルバニア地方という場所があるらしい。
ラテン語でトランは「地方」シルバは「森」。
作・演出のアルバート・シリングはハンガリー生まれ。
まったくなじみのない国の実験的な演劇が東京にやってきた。
これは三部作のうちの一部らしい。
第一部は「映画」という形式を取り(これはF/Tテアトロテークで上映されている。)
第二部は「オペラ」(ミュンヘン歌劇場で2011年7月に上演された。)
そして、この第三部は「演劇」的な形式を取ったものとなった。
とはいえ、通常のスタイルの演劇ではなく、
映像と演劇と観客との対話が一体となったもの。
お話はシンプル。当日もらった折込パンフから引用する。
「ハンガリーの首都・ブタペストで活躍し、
演劇教師としてルーマニアに移り住んだ元女優、その夫と息子、
それぞれの視点による三つの物語が、映画、オペラ、演劇という
異なる芸術形式で展開される。そこで描かれる家族像には
ヨーロッパ社会が抱えるさまざまな問題が映し出されている。」と。
演劇には夫は出てこない。
演劇の教師がある村の学校に赴任してくる。演劇を教えるために。
そこには体制的な教師がいる。一人は体育教師。そして、もう一人は牧師。
キリスト教的な倫理観に基づいた宗教教育が行われている学校。
質実剛健という言葉がトランシルバニアにあるのかどうかわからないが、
彼らはそのような教育を受けている。
驚いたのはハンガリーの実際の高校生たちが実際の生徒役を演じていること。
彼らにとっては事実とも思えることが
実際に演劇と言うカタチになっている。
見ている方は、彼らは実際の村でこのような学生生活を送っているのか?
と想像させられる。
そこに、自分で考えて自由にやれという主張をする演劇教師がやってくる。
まるで「ドラゴン桜」や「GTO」みたいな。
特殊な教師は権威主義的な教師たちと反目しあい
排除されそうになる。
子供たちはそれに対して立ち上がり…。
という。
なのだが、その間に、観客との対話が挟まれたりするのだ!
急に、観客席が明るくなり、質問がなされる。
それは観客に「何故か?」「教育とは何か?」などということを考えさせる。
観客自らも「何故この教師は?…。」
と思うことにより積極的にこの舞台に関与する。
本公演を見に来ていた明大付属高校の有志の生徒たちが印象に残った。
彼女たちは積極的に発言し、この対話形式の演劇にすんなりと参加していた。
ともにワークショップを行ったという経緯もあったのだろうが。
(そういう機会を持ったらしい。)
とともに男子高校生で発言するものがいなく女子のチカラを実感。
アフタートークでもそれは続き、
もしかしたらこの国の未来は彼女たちが新たに創っていくんじゃないかな?
とすら思えるような会となった。
ハンガリーから来た学生たちは今回の経験をどのように思い感じているのか?
草の根の交流から大きな流れが始まる。