想田和弘監督、「観察映画」第2作「精神」の顛末を記述したもの。
映画では描かれなかったバックグラウンドと監督の想いがここに描かれている。
これを読んで初めて知ったのだが想田監督はもともと
観察映画としてこの「精神」を最初に製作しようとしていたんだということ。
その撮影の準備をしている途中で、想田監督の東大時代の同級生だった
山さんこと山内和彦が川崎市議に出馬するということで、
急遽、購入したカメラ機材を持って同行し「選挙」という映画が完成した。
選挙は選挙運動が終わればほぼ撮影(観察?)は終了する。
ということで、「選挙」がたまたま想田監督の観察映画第1作となったらしい。
それからも、想田監督は同時並行的に岡山にある「こらーる岡山」という
精神科診療所に通い、許諾を得た人にだけカメラを向け続ける。
想田監督自身カメラは暴力装置であるという先人(原一男や佐藤真)の
言葉をかみしめながらカメラに向かい続けたのだろうか?
その逡巡の様子が本書を読むとリアルに綴られている。
想田監督が、
こらーる岡山の出演者の方々に見てもらう時はとても緊張したらしい。
実際、本書にその試写会を記述した部分があるが、
その文章の迫力はもう一つの想田監督の「観察記録」である。
本書の副題には「タブーの世界にカメラを向ける」とある。
米国のドキュメンタリー映画監督
フレデリック・ワイズマンの処女作「チチカット・フォーリーズ」(1967年米国)は
米国のとある精神病院にカメラを向けたもの。
撮影された人たちの人格を無視したものではないか?
ということで合衆国連邦はこの映画の一般公開を長らく禁止した。
そして数十年経ってようやく再公開が認められたという経緯がある。
この「精神」という映画もワイズマンの映画と同じように
ぼかしやモザイクなどを一切いれない。
ナレーションや説明のためのテロップなどもない。
良くあるテレビ番組のドキュメンタリーとは
対極にあるような造りとなっている。
しかし、本書を読んで想田監督はそうする手法を取ることによって
取材対象に真摯に向き合い一生その関係を問い続けるという
覚悟をもって製作していることが良く分かった。
もちろん人間なのでどうしようかと悩む。
その製作段階での悩みや、想田監督の弱さも含めて
まるごと記述されているという意味で
本書はとても印象深いドキュメント本となっている。
すべてのものを創る人、特に映像制作者に読んでもらいたい。