葛河思潮社という長塚圭史と葛河梨池氏の始めたユニットの公演が三回目となった。
会場に行くと女性の観客がたくさんいる。
キャスト表と楽屋花を見てあああ!と。
「あまちゃん」に出演して現在ものすごい人気の
水口こと松田龍平が出演している!
実際にあまちゃん役の天野アキこと能年玲奈からもお花が来ていた。
今回取り上げた戯曲の「冒した者」は三好十郎が1952年に書いて上演されたもの。
このユニットでは過去2回三好十郎の「浮標」を上演している。
三好十郎劇団か?と葛川梨池氏がパンフレットの中で呟いている文章が楽しかった。
本作が上演されてから、この戯曲を取り上げて上演しようというものが
現れなかったようで発表後61年経って上演されることとなったらしい。
この戯曲には三好十郎の様々なメッセージが込められている。
あの時代だから新劇的な舞台なのだろうか?と思ったら
まったくそんなことはない。近代劇を飛び越えて、
今でも十分通用する現代劇。
というよりも、今以上に現在のことを捉えているようなシーンがいくつもあり
身につまされた。
ある大きな木造集合住宅での話。
木造なのに3階建でその上に塔が増設されており
6階分の高さがあるような奇妙な住宅に様々な
8人の人たちが共同生活を行っている。
その生活は淡々とはしているが平和で平穏なもの。
お互いを助け合いながらともに食事をするという、
今でいうシェアハウスのような場所。
戦中戦後のどさくさで株に投資し財をなしたもの(中村まこと)、
芸者の娘でめかけの子(松雪泰子)、
彼女は裕福な中で育てられ芸事にも秀でている。
医師(長塚圭史)とその妻。
そしてモモちゃんという目の見えないフルートを吹く女の子(木下あかり)などなど。
世代や階級を超えた人たちが住むシェアハウス。
そこに、私という役の田中哲司(ものすごい台詞量!)の友人、須永(松田龍平)が訪ねてくる。
彼は実は…。
彼がこの木造集合住宅にやってくることによって
ここに住む人たちに様々な変化をもたらす。
戯曲のテーマは重い。
その犯罪もののストーリーの中から見えてくるのが
広島や長崎に落とされた原爆の問題。
人間は原子力を発見しそれを使ってしまったことによって
神の領域を超えてしまった。
またこの時期はビキニ環礁で水爆実験が行われ
第五福竜丸が実際に被曝している。
1955年に黒澤明監督が映画「生き物たちの記録」を発表し、
東宝では「ゴジラ」が製作される。
また、1950年から始まった朝鮮戦争が
日本に景気をもたらすとともに、また戦争をするのか?
という厭戦的な気分も庶民の中で起きる。
人間は決して戦争をやめたりしないのでは?という
三好の強い厭戦のメッセージが聞こえてくる。
そして原子力についても同様。
61年経っても人間は何も変わっていないのか?
この戯曲が今、改めて上演された意味は大きい。
同時に、この舞台は松田龍平の登場によって
徐々に狂っていく人たちの姿をあぶりだす。
長塚はそれらの状況を決して劇的におおげさに描かない。
淡々とした中で丁寧に丁寧に演出された芝居が
舞台の静謐な空間の中、強い緊張感を保つ。
この緊張感を3時間以上持続できたことに驚きを感じたとともに
俳優たちの力を信じた演出の技量が三好十郎の優れた戯曲に上書きされた。
上書きされることによって61年前の戯曲は新たな価値を生み
その現在性こそがこの舞台の新たな魅力となった。
しかも、松田龍平の演技が笑いを取るのが印象的だった。