宮沢賢治の生涯についてきちんと教えてくれたのは井上ひさしだった。
井上さんの講演録か何かを読んだのだと思う。
それまで宮沢賢治という人は聖人君子だと思っていた。
「雨ニモマケズ」や「グスコーブドリの伝記」を書いた無私の心の持ち主で、
利他の気持ちに満ち溢れた人。
そんな印象をずーっと持っていた。
特に3・11の震災後、岩手県出身の宮沢賢治の言葉は多くの人に届き、
そしてその言葉はみんなの心の中に残った。
少なくとも僕にとってはそうだった。
しかし、井上ひさしの話を読んで、
宮沢賢治がああいう心境に至ったのは死の直前だったということを知り驚いた。
井上ひさしはその宮沢賢治の半生をこの「イーハトーボの劇列車」という
評伝劇にまとめあげた。宮沢賢治全集を初めとし、
当時の歴史的な事実など膨大な資料を踏まえた上で
こうしたファンタジー劇に仕上げることが出来たのは
井上ひさしの深い深い宮沢賢治に対する洞察があったからだろう。
こんなに大変なことをやり続けた井上ひさしはほんとうに凄い。
そして本作の随所に井上ひさし自身のメッセージが込められている。
農業問題、宗教問題、東北地方の貧困の問題、当時の赤狩りの問題、などなど。
庶民の側に寄り添って井上ひさしは戯曲を紡ぐ。
岩手花巻市のいいところのおぼっちゃんだった宮沢賢治は、
そうした側に寄り添おうと努力するのだが、
最初はおぼっちゃんなので親から金を借り、東京で暮らし、理想だけを語るただのボンボン。
実家の宗派である浄土真宗から法華経を信ずるようになり
日蓮上人の教えを追求する。
劇中でこの日蓮の解釈で面白かったのが、
強い日蓮上人とでくの坊の日蓮上人が共存しているということ。
たいていの人は日蓮の強い部分を見るのだが、
宮沢賢治と井上ひさしは日蓮のもう一つの側面「でくの坊の日蓮」に光をあてる。
どうしようもない自分ということを意識して、その場に立ち尽くすことこそ
この教えの本質であるという言葉が印象に残った。
その言葉は「雨ニモマケズ」で「ミンナニ、デクノボウトヨバレ」という表現にも表れている。
劇では賢治が東京(上野)と花巻を結ぶ鉄道のシーンが幕間幕間に挿入される。
車掌(みのすけ)が賢治にその都度、いろんな人の「思い残し切符」を渡す。
無念にして死んでいった人たちの「思い残し」を賢治が引き受けるという構造。
そこには賢治が理想とした広場のあるユートピアとしての村のイメージが広がる。
そのユートピアという考え方は井上ひさしも生涯テーマにしていたものである。
賢治と井上ひさしが重なり、死者の世界から私たちにエールを送ってくれているような気持になった。
賢治を演じた、井上芳雄がいい。
ミュージカルの俳優さんだと思っていたらすごい俳優さんだったのね。
彼の発する岩手花巻の言葉がいい。
「あまちゃん」に出演していた木野花や
辻萬長、大和田美帆、松永玲子、土屋良太などが脇を固める。
14年ぶりの再演だという。演出、鵜山仁。演奏、荻野清子。