四つ木にある専門学校でロケーション撮影をしたことがある。
撮影現場にいっても特にやることがないので周辺をウロウロしていた。
とある喫茶店に入ってモーニングを注文。
何と、この何の変哲もない喫茶店はほぼ満員だった。
地元の老人たちが個々に集い、
ジャムとバターたっぷりの厚切りトーストとコーヒーを摂っている。
年をとると甘いものを食べるようになるのだろうか?
良く甘いパンなどを食べている高齢者の方々を見かけることが多い。
この、街も高齢化が進んでいるのだろうか?
周囲には昔からのごちゃごちゃした一軒家が立ち並び、
今開発ラッシュの、タワー型マンションなどこの地域では見かけない。
そんな四つ木のアンミツ屋だったところが喫茶店になった。
その喫茶店が舞台になっている。
サザンシアターの舞台を目一杯使った喫茶店は趣味が良く、
杉山至×突貫屋の仕事の確実さを感じる。
小学校からの幼馴染が亡くなって、その葬式の帰りに彼らは喫茶店に集う。
彼らは、幼い頃の記憶を語り始め、もうどれくらい残っているのか知れない
人生に思いを馳せる。人間は、記憶と想像のなかで生きているのだなあと感じる。
中年から初老期を迎えた彼らは、
昔のように集まって遊びほうけるということが出来ないこともわかっている。
その諦観の中で生きている彼らが、ある友人の死とともに一瞬間だけ集まり、
昔のエネルギーをもう一度燃え上がらせようとする。
象徴的な出来事としての「上野動物園襲撃」が語られる。
また、この舞台で特徴的なのは、歌が何度も歌われることだ。
同じ、時代を生きたものたちの一つの象徴としての歌。
何度も「月の砂漠」が歌われる。
また、「とんとんともだち」や鶴田浩二などなど。
平田オリザが折り込みの中で「ALWAYS三丁目の夕日」について触れていたが、
まさしくあのころの子供たちの話である。
もともとの戯曲「上野動物園襲撃」は金杉忠男によって1987年に書かれた。
金杉は1940年生まれなので、僕と、ふたまわりほど違う。
平田オリザも僕と同世代である。
1987年からちょうど20年たった今、平田オリザも当時の金杉と同じ年齢に近づいた。
年齢から生まれてくる感情の表し方や、人生を受け容れていく感覚は絶対にある。
2001年の「上野動物園再々々襲撃」初演時には表現できなかった
老いや人生の終焉に関する感覚が、より研ぎ澄まされてきていた。
何とはない会話の中に、生きてきた年輪の滋味のようなものを感じる。
舞台の中で、藤崎(篠塚祥司)は肝臓ガンで余命いくばくもないと、語られる。
同級生だった北本(大崎由利子)は、それを知り、藤崎に言う。
「藤崎い!ガンなんだって?」「おう!」
「死ぬなよ!」「おう!」
「死ぬな!」「おう!」
魂の祈りは、虚しいことを知りつつも叫び続ける。
舞台上の友人たちは、それに呼応するかのように
「月の砂漠」を歌い続ける。
こんなことしか出来ない無力さを知りながら彼らは、いつまでもいつまでも歌い続ける。