ハロルド・ピンター作、長塚圭史演出、
出演は松雪泰子、田中哲司、長塚圭史。
ロンドンが舞台のこの戯曲。とても上質な大人の演劇だった。
いま、お昼のドラマで「昼顔」というのが良く見られているそうだが、
これもそうした男女の関係を描いたもの。
妻が見終わって、これって夏目漱石の「こころ」に似ていると言った。
僕とKと妻との三人の関係と。なるほどな!
と思いながら、友情と愛情と愛欲と、私たちには何が大切なのか?
みたいなことを突きつけられた舞台。
田中哲司と松雪泰子があるパブで出会うシーンから始まる。
このシーンが現在のシーン。
そこから舞台は時間が遡る。
過去へ戻るには、簡単な小道具が移動するだけ。
この場所が松雪と長塚の夫婦の居間になったり
田中と松雪が遭いびきをするアパートになったり、
長塚のオフィスになったりする。
そして過去に彼らに何があったのか?が
だんだんとあきらかになっていく。
静かな緊張感が舞台に張り詰める。
無音の中、俳優たちのセリフだけが場内に拡がる。
戯曲のセリフが大人の知的好奇心を刺激する。
それも、そのはずで、登場人物の設定が出版エージェントの代表(田中哲司)と
出版社の社長(長塚圭史)、そして長塚の妻である松雪泰子は画廊のオーナー。
こんなセレブな人たちがロンドンで会い、ベネチアに旅行に出かける。
長塚と田中は
長塚が松雪さんと結婚する前からの友人で
今も週に1回は会って昼食を一緒に食べ交互におごりあうという習慣が続いている。
そこで描かれる友情、そしてその奥にある愛情、
さらには人間としての欲望である愛欲が描かれる。
ロンドンに住む大人たちのある種リアリティがここにはあるのだろうか?
イギリス人の生き方がこれからの日本人のお手本になるのでは?
というようなことを最近、何度も聞かされる。
高度に成熟した社会で私たちはどのように生きて行くのか?
その一つの事例がこの舞台の中に凝縮されている。
そして人生は続くと誰かが言っていたが、
まさにそうした生きて行くことの楽しさ悲しさ、
そしてすべての事項を最終的には受け入れていくという懐の深さみたいなものが
この舞台にはある。
大人になっていくとは、こういうことなのか?
葛河思潮社の前回の傑作、三好十郎の「浮標」に続いて、
田中哲司と松雪泰子、そして長塚の演技が素晴らしい。
9月18日~東京芸術劇場で東京公演が始まる。