演劇を見るという行為の大きな特徴のひとつが、
お芝居を見ながら観客が「考える」ということなのじゃないかな?と思う。
このシーンはどういう意味だろう?
なぜ彼はここでこういった発言をするのだろう?
ある会話を通して、あるいは俳優の表情やしぐさを通して
そうしたことを考えながら目の前で行われていることを見続ける。
言い換えると劇作家・演出家と俳優たちが作り上げた世界と
観客が静かに対話するとでも言えばいいのかな?
演劇を見るということは、その孤独な対話をしていることなのだ!
ということを本作は強く意識させてくれる。
高村光太郎の30年近い時間の物語。
彫刻家であり詩人でもある高村光太郎。
知恵子と知り合い結婚し、そして智恵子が病気になり先だって行く。
彼を巡る周囲の人々、親戚や近所のおばさん。
そして作家、永井荷風、宮沢賢治などが登場する。
舞台は高村家の居間である。いろんな客人が来る。
一緒に住んで家のことを手伝う人たちもいる。
そこでの何気ない会話が繰りひろげられる。
高村と智恵子との本当に何でもない会話が見ている人のココロを打つ。
観客はその舞台と対話して考える、あるいは感じる。
その感じ方は人それぞれで良く、どう感じたか!どう考えたか!
を語りたくなるような舞台、
あるいはどう感じたかを噛みしめるようにして
劇場を出ていけるような舞台が優れた舞台なのではないだろうか?
智恵子が神経も肉体も衰弱していくのではないか?
という予感を高村は知りながら全身で智恵子を受け止め、
生涯一緒に生きようとしている。
何気ない二人のやり取りだけでそう思うのは、なぜなんだろう?
この戯曲を平田オリザが書いたのは1984年のことらしい。
劇団の表現の方向性が見えなかった時期から脱して、
青年団が独自の方法論を確立していった最初の舞台だった。
平田オリザ21歳にしてこんな戯曲が書けたのか!
平田オリザが高校生の時に世界一周している際に
冬のパリで「雨にうたるるカテドラル」という高村光太郎の詩を読んだそうである。
人間を成長させるのは、
本を読み、人に会い、旅をする、
というところにあるらしい。
旅をすることによって、その孤独から何かを見つけ、
その途中で本を読んで考える。
そうした行為が人間には必要で
平田オリザはそれを高校生の時にすでに
やっていたということになのだろう。
その成熟が21歳の時のこの戯曲に現れているのでは?
人気のないICUの図書館で高村光太郎の資料にあたりながら
平田オリザはこの戯曲を書いたという。
そして、今は2014年、あれから30年が経った。
まるでこの舞台の高村家の居間のように。
30年という年月は人の記憶を豊かにし、
その記憶とともに人は生き続けるのだ、
ということが平田オリザは21歳の時にわかっていたのか?
最後に平田オリザが書いていた文章を紹介する。
先端的な演劇人、芸術家にとって最も重要な要素は、
その才能故の孤立と孤独に耐えることだと私は考えています。-平田オリザ