ふくふくや という演劇ユニット名を聴いていたのだが初観劇。
今回見に行った理由は、何といっても小泉今日子が駅前劇場!という暴挙に出たこと。
こんなに小さな小劇場に小泉さんが登場するなんて!
追加公演のチケットを友人に取ってもらっての観劇だった。
最初は、小泉さんがちょい役で出てるだけなのかな?
という予想で行ったら、何とガチで出演。
フタゴの一人という重要な役目でセリフ量もすごい!
チケットを取ってくれたOさんに感謝!
脚本協力で小泉今日子の名前が、
どのあたりを具体的に協力したのだろう?
アフタートークなどでそのあたりのことを聴いてみたいなあ!と思った。
脚本は竹田新、演出は司茂和彦。
舞台は高知の田舎町にある元漁師の一軒家の居間。
上手は台所に続き、下手は玄関という設定。
ここで小泉今日子は夫と暮らしている。
フタゴの姉?と妹に仕送りしながら小泉今日子はこの地を離れないでいた。
母親が早くから亡くなり。父親は漁師をやっていたのだが
母が亡くなった後、新興宗教を始めた。
キリスト教のやり方をまねたような
妙な宗教でご神体は流木である。
当時、小泉は14歳だった。
14歳で家事をこなしながら一家の生活を支えていかなければならなかった。
小泉にはフタゴのまったく顔の似ていない姉(山野海)がいる。
姉は東京の学校に行き薬剤師になる。
小泉は姉に仕送りをつづけた。
また、年の10以上も離れた妹(明坂波江)は岡山に住んでいたのだが
そこで年上の彼(渡辺哲)を見つけ、彼を連れて生まれ故郷の街に戻ってくる。
彼は60歳を過ぎて定年を迎え新たに漁師としてこの街でやっていこうとする。
妹夫婦が小泉夫婦の家に同居するということになる。
小泉夫婦のこの家にはフィリピンパブのやとわれママ(中村まゆみ)も同居している。
ここに住むようになって半年。
そこに東京に住んでいたフタゴの姉が男を連れて帰ってくる。
男は姉のヒモであり毎日ごろごろと暮らしている。
高知の実家に帰って来たのは父親が何年か前に亡くなったことを知り、
その遺産の相続があるだろう、
このヒモ男がお店をやりたいと言っているので
その開業資金をもらおうとやってきたのだった。
その周囲を取り巻く人々、昔からの漁師をしている小泉今日子の幼馴染。
漁師の後輩や近所のお弁当屋さんで働くおばさん(福島まり子)
さらには東京から組の金を持ち逃げしてこの街に流れて来たものなどなど。
彼らがこの街に居ていろんなことがわかり始めてくる。
とても怖い。日常に隠されたその下にはいったい何があるのか?
地方の持つ独特の土着性がうまく描かれている。
そして、あることがきっかけで、この街に隠されていることが次々と明らかになる。
渡辺哲には娘が居たのだが、その娘が何年か前に亡くなった。
渡辺が語る娘とのエピソードがいい。
本作を見て、まるでキム・ギドクの映画を見ているような気にもなり、
その後カール・ドライヤーの映画を見ているような感覚にもとらわれる。
ここで描かれる大きなテーマは「赦し」。
「赦し」あうことによってお互いが昇華され、天に昇ることができるのだろうか?
魂の浄化がここにある。
エンディングのシーンはまさに俗なるものの中から美しい聖なるものを見つけることが
できたような美しいシーン。台風の近づいて来ている一夜のあの夜のこと。
たくましく生きる人たちを見て元気をもらって劇場を出た。
11月2日まで。