本作の初演は1990年。実は、その初演を見ていなく。本作が初見だった。
青年団の若手俳優たちと、こまばアゴラ劇場が始めた、
演劇学校の俳優養成所の生徒たちが一緒になって平田オリザの戯曲に挑戦した。
作・演出は平田オリザ。
平田さんのFacebookなどを見て、本作の稽古が長時間に渡ったことを知る。
修了公演なので俳優も多く。
Aチーム、Bチームに分かれている。
Bチームを観劇。
顔を知っている青年団の若手俳優と演劇学校の生徒たちが
一緒になってこの舞台を作っていった。
1年でこれくらいになれるのか?と驚くとともに、
さらにその先があるんだなあ!ということも伝わってきた公演。
日本を出てある南の島へ向かっている客船の甲板デッキが本作の舞台である。
近未来の話だろうか?日本人たちは日本を飛び出し新たなチャンスを求めて南へ向かう。
日本人たちはそこで何不自由なく暮らし、
働くこともなく退屈な船上生活を送っている。
日本に生まれた香港や中国、ベトナム、朝鮮などの人々、
あるいは彼らとの混血の人々は純血の日本人と違って
船上で使用人として働いている。
そうした植民地主義的な構造がこの舞台の中にある。
ヘイトスピーチという言葉もなかっただろう1990年に平田はこの戯曲を執筆した。
折込のチラシの中に平田は
本作は「ソウル市民」の翌年に書かれたものである
ことも覚えておいていただきたい。私は当時、「ソウル市民」の未来版として、
この作品を書きました。
とある。
そして、今、ヘイトスピーチが社会問題になり、国粋主義的な考え方を持つ人が増え、
国家はその方向に進もうとしているようにも見える。
そんな今だからこそ本作を再演してわずかばかりでも
世に問うということを行いたかったのではないだろうか?
まったく見たことのない新人の俳優たちが懸命に演じていた。
そして、いろんな魅力ある俳優の卵たちを応援したくなった。
本作はフェリーニの映画「そして船は行く」へのオマージュでもあると
平田さんが折込に書いていた。
チネチッタ撮影所にばかでかい船のセットをつくって
ロケは一切行われなかった名作映画である。
第1次世界大戦前のヨーロッパ貴族たちのお話。
貴族の割合は1%だと言われている。
そして、トマ・ピケティなどに言わせると二つの世界大戦を経て、
格差が縮小した時代が終わりを告げ、
また富裕層である1%が富を集中させることが始まりつつある、と。
そんな時代に問う、恐ろしく怖い舞台だった。
富の集中と差別意識の増長には何らかの関係があるのか?
本作を見る前、夕食をとるため駒場東大前の定食屋の名店「菱田屋」で食事をしていた。
と、隣に入って来た女性客が、お店の人に英語で「英語か中国語のメニューはないか?」と
聴いていた。そんなメニューはないので、どんなものをお食べになりたいですか?
と聴いて行き。私は時間がないのですぐに出せるものがいいと。
結局、「豚の生姜焼き」を注文することになった。
その後、少しお話をしたら、台湾から観光に来ていて、
今日はこれから「南へ」をアゴラで見るという。
彼女は、日本語がわからないのになぜ?と聴くと、
想田和弘監督のドキュメンタリー映画「演劇」を見て興味をもったという。
そして、いい経験になると思い、日本語がわからないけど
行ってみたいと思いここにやって来たという。
劇場にやってきて本作を見た彼女はこれを見てどう思ってどう感じたのだろうか?
3月1日まで。