著者の木村元彦さんと知り合ったのは、
たまたま「映像テクノアカデミア」に
いらっしゃったことがきっかけだった。
あの原一男の疾走プロダクションに所属され、
激烈なドキュメンタリー映画の制作現場に身を置かれた。
その後、独立されノンフィクション・ライターであり
ジャーナリストでありビデオ・ジャーナリストとして仕事をされている。
週刊「プレイボーイ」などに顔出しの座談会に出演されたり
「アエラ」などに記事を書かれたりしている。
先日「本の雑誌」が選ぶ過去40年のベストという特集で
本書が第3位に取り上げられていた、
というのをシェアされているフェイスブック経由で知った。
40年分の第3位!
どんな本なんだろう?と思った。
早速、読んでみるとあっという間に読了。
読み始めていきなり、その迫力と疾走感にやられた!
さすが「疾走プロダクション」出身。(W)
オシムを知らない日本人は、多分、まだ小学校に上がっていない
子供たちくらいだろう。
ジェフ市原の監督をするために日本にやってこられ、
多大な結果を残していく、
その後サッカー日本代表の監督を務められたのだが、
現役監督だったオシムは2007年脳梗塞で倒れた!
本書の刊行はその2年前の2005年12月のことである。
オシムの波瀾万丈の人生が語られる。
サッカーの名監督であり優れた教育者であり哲学者であり経営者であるオシムは、
現ボスニア・ヘルツェゴビナをとても愛した人だった。
ユーゴスラビアがチトーの死によって内紛をおこし戦争が始まった。
1992年のことである。
そして国家が分裂し、国のありさまが変わってしまった。
サッカーは平和でなくてはできないものであると
これを読んで何度も思った。
PK戦で2選手を除いて、蹴りたくないと選手が言い出す試合って
いかがなものだろうか?国家戦略や政治にスポーツが利用される。
そうした政治的なことや過剰な商業主義的なことを
オシムは極端に嫌った。
サッカーに対して純粋であるからだろう。
こうして読んでいるとこれは一人のアスリートの記録でもあるが、
観方を変えれば彼はアーティスト(芸術家)なのではないか?とも感じた。
ある高みに向かって四苦八苦しながらよじのぼろうとする人たちを
ある人はアスリートと呼び、ある人は芸術家と呼ぶ。
そしてオシムはさらにそれらをすべて包括するかのような
大きな視点と広いココロをもった人だったことがわかる。
表面的に仲良くして円滑な人間関係を作る!というような
薄っぺらい現実をオシムの哲学は軽々と突き破っていく。
どのように選手たちを見て、彼らのことを想像しながら、
心理状態と身体の状態をすり合わせて
いろんなことを考えながら指導していく。
そこに介在するものは「言葉」である。
「言葉」で選手とコミュニケーションが生まれ、
それが合致すると素晴らしいパフォーマンスが発揮される。
そうしたことが、本書にはたくさん書かれている。
「オシム語録」が出たのも必然。
本書は
純粋でしかも強くて優しいココロを持った
190センチを超えたシニカルなユーモアを淡々と
言う大男と選手たちとオシムを囲む人々の群像劇でもある。
いやあ、木村さん参りました。
ありがとうございました。