演劇でしかできないこと、芸術家にしかできないことを
本公演で鴻上尚史はやってくれた。
本公演はある意味で今年の伝説的な公演になるのではないか?とすら思った。
エンターテイメント色を残しつつ、重いテーマに向けて果敢に切り込んでいる。
様々なメディアが本作を取り上げて、いろんな議論のきっかけになればいいなあと感じた。
高橋源一郎が朝日新聞で連載している「論壇時評」にも似た。
しかし、鴻上さんは論じるということではなく作品を創作していく
ということでそれを表現する。
東京都現代美術館の会田誠作品に関することが先日話題になったが、
表現をするというのは、自由であるということ。
社会は、そうした多様な価値を認めていくところから
出発しなければならないのではないか?
そして、演劇人としての鴻上さんは、
こうした表現活動を今まさにやっている。
さらに言うと、こうした表現活動が自由に出来る社会や国には
可能性や希望があるということなのかも知れない。
舞台の内容は、現代の日本国内で内戦が起きたというもの。
日本国軍と新日本国軍が戦っている。
その状況にいやがおうでも巻き込まれてしまう人々。
「正義」という「大義」を掲げ、そのために「戦う」。
しかも、その発意や行為自体は、日本軍も新日本軍も同じであると言うパラドックス!
これは米国と反米のイスラム原理主義との戦いなどと
同様だなと見ていて思った。
鴻上さんは、そのテーマを飽きさせることなくエンタメ色豊かに創作する。
第三舞台から30年以上が過ぎて、表現の技術が円熟化し、
そこに60歳近くまで考え続けている「世間」などに関する鴻上さんの
深い洞察がこの舞台を重厚で面白いものにしている。
トラッシュマスターズや劇団チョコレートケーキ、風琴工房、
そしてパラドックス定数などの若手演劇集団も社会性の強いメッセージを発している。
が、鴻上さんの今回の表現はそこからさらに図抜けて
飄逸や軽みみたいなものが表出するところまで突き抜けている。
また、鴻上さんがレギュラーで出演されている「そこが変だよ日本人」の
経験から得た知見がふんだんに本作品に取り上げられていて、興味深い。
帰国子女と世間(学校?)との対立の構図など、見ていると
笑いながらなぜか泣けてくる。
まばたきするのも惜しいほどの速いテンポで物語は進んでいき、
そしてエンディングを迎える。
ゴーリキーの「どん底」にも似た、今村昌平の「えじゃないか」にも似た
終末観がカタチを変えて描かれる。
そして、その終末観を乗り越えて私たちは新たな希望を獲得するのかもしれない。
今年の演劇界で本作品が話題になることを希望する。
いつものダンスシーンも健在だし、音楽も効果的に使われている。
小野川晶や佃井皆美のお色気のあるシーンもいい。
9月6日まで。その後、大阪、香川、新居浜、内子と公演が続く。