2月にさいたまで上演する筈だった蜷川幸雄さんと藤田貴大との
共同プロジェクト「蜷の綿」の公演が延期になった。
蜷川さんが1月に肺炎になられて稽古ができなかったらしい。
そして「蜷の綿」のチケットは払い戻しとなった。
このまま2月の公演は流れたのか?
と思っていたらこの公演のチラシが!
しかも日曜日の夜の公演も!
「蜷の綿」の上演日程から少し後ろ倒しになり上演期間も短くなったが、
こうして新たに上演されることになった。
短い稽古期間で三部作110分の作品を完成させてしまうエネルギーに感心する。
再演作品とは言え、劇場も俳優も同じではない。
こうして、私は藤田貴大の2006年、2009年、2011年の作品を見ることができたのだった。
日曜日の夜に与野本町。
だというのに多くの観客がやって来て開場を待っていた。
私が藤田貴大作品を初めて見たのは2012年のことだった。
今回の公演で藤田さんの創作の原点を再確認した。
いつも感じる圧倒的な抒情性は変わらず、
特に3作の中の「Kと真夜中のほとりで」は藤田作品で
現在上演されているエッセンスがすべて込められている秀作だった。
藤田さんの出身地である北海道の伊達市が舞台なのか?
そこでの出来事が描かれる。
10年前のこの日Kちゃんがいなくなった。
そのことについてのKちゃんの周囲の人々の様子が描かれる。
10年間、妹の不在に耐えられず妹を探し続ける兄。
そしてKちゃんの友人たち。
彼らは10年経って高校を卒業し20代の半ばを迎えている。
そこでの人々のふれあいが抒情豊かに描かれる。
人の関係が倉本聰が描く「北の国から」にも似ている。
自然の厳しい北海道で人々は寄り添い
助け合って生きて行かなければならない。
それはお互いのことを深く濃く知ることでもあり、
同時にその閉塞感に耐えられない人たちもいる。
そんな人たちは
街を出ることによって新たな地平に進んでいく。
本作はある種の青春群像劇でもあり、
藤田さんの自伝的な香りのする作品でもある。
藤田さんも大学入学と同時に街を出た。
その青春ものをマームとジプシー的な同じ場面が何度もリフレインしながら
少しづつズレていくという手法を伴って上演される。
音楽と発声と身体の動きがシンクロして独特の劇世界が出来上がる。
スズキタカユキの手になる衣装が印象的。
今回は「夜」がテーマなので「黒」を基調とした衣装群が美しい。
それらの衣装と俳優の身体が
月光に照らされているようなライティングが施され、
美術や音響も相まって、とてもスタイリッシュな世界が現出する。
そこに身を浸しているだけでココロの奥がぎゅっとなり
少し切ないような気持になって劇場を出ることになる。そんな舞台です。
(@さいたま芸術劇場小ホール)
2月28日まで。