京都に拠点を持つ劇団MONOは年に2回ペースで公演をやり続けている。
作・演出は土田英生。
独特のゆるーい「間」と、そこから生まれてくる脱力系の笑いがこの劇団の持ち味。
以前、MONO所属の俳優たちは全員男性だったので、
過去の公演には男ばかりが出てくる舞台が彼らの持ち味だった。
しかし、この数年は女優陣を起用して華やかで奥深い作風に変化しつつある。
中でも、女優のもたい陽子がいい。
毎回、よくこんな設定を思いつくなあと感心する。
今回は何と弥生時代の人々が登場する。
しかも、史実に乗っ取っているのかどうだかわからないが
彼らの話す言語が「弥生人の言葉」!
「濁音」を極力排した言葉が独特の味を出す。
土田は良く自分の出身地の愛知の方言を使用して味のある舞台を作っていたが、
今回は何との古代語である。
とはいえ、慣れてくると次第に意味がわかるようになるので、安心してください。
竪穴式住居が二棟と高床式倉庫がしつらえてある美術セットは
凝っていて見ごたえがある。真ん中に踊り舞台の平らな石が置かれ
やや下手には焚火をする場所がある。
ここの主人は二人の妻を持ち、結婚できていない男たち2人とその妹と
一緒に暮らしている。
そこにある日、男がやってくる。
(ここから少しネタバレます)
現代からタイムスリップしてきたのか?男はスーツを着ており、現代の日本語を喋る。
現代人がいかに海外の言葉を多用しているのかが舞台を見ているとよくわかる。
そうして弥生人と彼との交流が始まる。
弥生人と現代人の交流で言葉が混交していくさまが見ていて笑いを誘う。
弥生人が「ヴォキャブラリー」などという言葉を使い、それを見た客席は受ける。
そして、現代人も徐々に弥生人の言葉を習得していく。
この村の村長がこの集落の奥の方に住んでおり、
ある日そこからこの家族に使いがやってくる。
そしてその使いは実は・・・・。
あとは、舞台でお楽しみいただければと思うのだが
その一見、荒唐無稽とも思える設定を利用して、
土田はみんなが共存する方法を模索する。
弥生人たちは大和朝廷の人々がこの村に侵略してくるのを恐れながら生きている。
そんな不穏な時代に
お互いを殺し合わないで共存する方法がどこかにあると土田は信じている。
「かたじけない」という言葉をお互いに言い続けていけば、共存できる。
今の言葉でいうなら「ありがとうございます」だろうか?
互いに敬して感謝し合う、そうすることによって一緒に生きていける。
外から来た人たちを受け入れて一緒に生きる方法を考えようよ!
と、土田がこの作品を通じて何度も語りかけてくれているような気がしてならなかった。
上演時間約2時間。13日まで。