11月18日観劇。この公演は11月17日から20日までの4日間。
劇場に行って初めて知ったのだが、本公演は毎日違う演目を行い
、合計7時間以上の芝居となっているらしい。ひええええ!
まさに、一期一会!そのために作家や演出家、俳優たちは
10月1日から稽古を始めたらしい。なんと贅沢な!?
あるいは、逆に、何ともったいない!何と効率の悪い!
と思う方もいるだろう。
ただ、この一期一会の緊張感が、舞台にある種の空気を形作っていたのは事実。
しかし、その事実は淡々と進んでいく。
上演されたあの感じを稽古で何度も繰り返しながら作っていったのだろう。
折り込みで、劇作家:演出家、マレビトの会主宰の松田正隆が、
小津安二郎の劇映画「麦秋」について書いていた。
「麦秋」は「取り返しのつかない時間」を取り戻す。
そんな映画である。と。
フィルムに現場での一期一会を定着させたものが映画であり、
小津さんは映画の世界で、松田さんが今回おやりになろうと考えたことを
まさに行っておられたのではないだろうか?などと考えるのだった。
小津さんの墓碑には「無」とだけ記してあるらしい。
ただ、今、そこにある瞬間を切り取って提示する。あとはなにもない!
本作「福島を上演する」も同様の試みがなされた結果ではないのだろうか?
2日目にあたるこの日に上演された演目は
「少年と運転手」「千貫森」「笑い声」「蚊」「湯気、道くさ」の5本。
上演時間は110分だった。
「福島を上演する」と銘打ってあるのでこれは福島での話だろう!
と思うのだが描かれるのはあくまで福島に居る普通の人々の生活。
そして観客は彼らの会話に耳を傾けそこからにじみ出てくる
「取り返しのつかない時間」を感じることとなる。
どう感じるのかは観客に大きく委ねられ、
何も感じないこともあるのかも知れない。
ただそこで上演されている今を同時体験するだけである。
演劇的行為の原初的な楽しみと感覚がここにある。
ただそこに居て同時に経験すること。
劇評家の先輩から、観客と舞台はその場で共犯関係を作るのであーる!
などと聞かされてきた。
本作は、まさにそれを体現するものなの?
気のせいかもしれないが、俳優の喋り方が小津映画にも似ているなあと思いながら見ていた。
そして俳優のあくまで自然なセリフはいったいどうして作られたのだろうか?
圧倒的な非効率が生み出したある種の輝き?みたいなものなのだろうか?
そんな演劇体験がにしすがも創造舎の「体育館」で出来るかも。
セットは学校の椅子だけというシンプルなもの。
阿武隈川や仮設住宅などは私たちの想像の中にしか登場しない。
毎年F/Tで会う「かすがいさん」に
今年もこの劇場で会うことが出来た!これも一期一会だなあ!
と思いながら一緒に「西巣鴨」駅から帰宅した。