三島由紀夫は本作品で第二回「岸田戯曲賞」を受賞した。
三島由紀夫は小説だけでなく多くの戯曲も書いている。
「近代能楽集」や「サド侯爵夫人」などは本作の後に書かれた作品群である。
三島の中にあるある種の倒錯性が本作にも描かれている。
初期の作品なのでその描かれ方がわかりやすく、現在に上演するのにとてもよかったのではないだろうか?
30代の若手演出家の谷賢一は三島の戯曲の中からこれを選び出したのも
現在に通じるなにか?を感じ取ったのでは?
SNSの台頭により「不倫報道」が芸能人の仕事生命を抹殺してしまうような
そんな時代になりつつある。不寛容さがはびこり生きにくくなった時代。
先日、中井貴一が芸人なんていうものは、どこか社会性が抜けていて、はみだしている。
そのはみだしているところから優れた芸事が生まれてくる。
それを寛容になって認めないのは本当に息苦しい!
とおっしゃっており、多くの人がこれもまたSNSで拡散していたのは
つい先日のことである。
松方弘樹さんみたいな、さらには勝新太郎みたいな豪快な芸人さんは
これから芸能の世界でますますやりにくくなってしまうのだろうか?
というか、そんな芸人さんが出てこない時代なのかもしれない。
本作の舞台は日本の反対側である、ブラジルの話。都会から離れた農園である。
ブラジル移民として海を渡って、コーヒー農園を経営して大成功した平田満とその妻、安蘭けい。
ここにはお抱え運転手の百島健次が若い妻の村川絵梨も一緒に住んでいる。
この二人は平田夫妻といつも食事をともにしている。
とてもリベラルな考えをもった平田は、運転手の夫婦と使用人たち(熊坂理恵子・半海一晃)に
対してもとても寛容である。
何が一番寛容かというと、妻(安蘭けい)と運転手(百島健次)は以前
愛し合いついには心中未遂事件を起こしてしまったらしい。
そうしたいきさつがあったのに平田はみんなをそのまま同居させ、一緒に食事をしているのである。
ここには、何か得体の知れないものがあるのでは?と思うのが世の常ではないだろうか?
三島の戯曲はこうした物語の骨格に強度があるので、その構造自体がサスペンスフルとなっていく。
そして、ある時期、若い妻は当家の主人である平田に相談をする。
何とかしてあの二人(安蘭と百島)をまた愛の渦の中に巻き込みたいと!
そのためには旦那さまがいるとやりにくい、と説得し、
平田はそれを承諾しリオ・デ・ジャネイロに遊興の一人旅に行ったのである。
この時点から何かがおかしい、と感じながらも、
安蘭と百島はまたお互いに惹かれあっていくのである。
そして並行して若い妻(村川絵梨)と平田満との関係が深まっていく。
ちなみに、若き運転手の妻はあの事件を知った上で百島と結婚している。
書いていて、昼のメロドラマみたいだ!と思うのだが、
こうした構造は多くの人を捉えるのである。
だからこそ現在もSNSなどでこうした行為が拡散されるのではないだろうか?
熱帯のジャングルの厳しい環境の中、愛し合っていない?
富裕な夫婦のもとで暮らす運転手と若き妻のお話。
そういえば、上戸彩と斎藤工の不倫ドラマ「昼顔」が映画化されるらしい。
そしてこの倒錯した三角関係を見ているとどこか胸騒ぎがする、
身体感覚を刺激する演出が生々しいエロスを感じさせる。
この本質こそ三島が本作で描きたかった身体感覚なのではないだろうか?
最近の新国立劇場のプログラムの不調さを残念に思っていたが、
本作を見て、やはり時間と予算をかけて丁寧に作られた舞台をちゃんと作っているんだな
と感心させていただきました。
若き妻、村川が魅力的。休憩入れて約2時間30分。19日まで!