本作を見ている2時間40分(休憩15分含)の間中、
演劇あるいはアートプロデュースとは何だろうか?と考え続けていた。
今度、新国立劇場の芸術監督を2018年の9月からやることになった小川絵梨子の演出。
難しい戯曲だと思った。
本作が初上演されたのが1959年。
当時は田中千禾夫が作・演出を行い、本作は「岸田戯曲賞」を受賞した。
敗戦の傷跡が残る1959年の長崎が舞台。田中千禾夫自身が長崎の出身である。
1945年8月9日に原爆が長崎市内に投下されたとき
田中は鳥取に疎開していたと劇場に掲示されていたと年譜に書かれていた。
原爆症の不安を抱えながら貧しいながらも生きて行かなければならない
長崎の庶民の暮らしから悲痛な叫びが聞こえてくる…はずだった。
実際、戯曲にはそうしたメッセージが挿入されているのだが
私のところに届いてこないのは何故なのか?セリフは俳優から発せられている。
1959年当時は、確実に観客のところに届いただろうと思われる言葉が
空中に漂いさまよってしまった。
黒澤明監督の映画「生きものの記録」の公開は1955年。
この映画は放射能を極度に恐れる男の話。
放射能で原爆症が発症するのでは?という不安と焦土と化した貧困の長崎で暮らしていけるのか?
という不安が重層的に登場人物たちを覆いつくす。
希望を持てない人々はどのような言葉を持ち得るのか?
そして、彼らの拠って立つ場所はどこなのか?
長崎ならではの「マリア様」がここでは重要な役割を果たす。
遠藤周作の「沈黙」がマーティン・スコセッシ監督によって映画化されたが、
長崎はまさにキリスト教信仰の街。
信仰とはどういうことなのか?
絶望の中にある種の希望を見出せるものなのか?
原爆で徹底的に破壊された浦上天主堂の「マリアの首」は
信仰する人たちにどのような意味があるのか?
田中はどのような想いでこの戯曲を紡いだのか?
しかし、その想いが届いてこない。
これはプロデュースに問題があったのではないか?
と自らもプロデュースをするものとして自省を込めて考えた。
テーマを現代に通底するものとして捉えてこの戯曲を選んだのは理解できる。
現在の北朝鮮の事象や福島の問題、そして格差が拡がり
深刻な貧困がリアルなものとなっている。
そうしたテーマが含まれている戯曲なのだが、
1959年当時のセリフそのままで私たちに伝わるだろうと考えたのか?
セリフを変えてはいけないという前提で本作を選んだのであれば、
制作者はこれが今の私たちに伝わるだろう!と思っていたことになる。
そこにプロデュースの責任がある。
小川さんが会場に設置されたビデオの中で難しい作品です!
とおっしゃっていたのはそういう意味ではないだろうか?
芸達者で素敵な俳優たち(鈴木杏、伊勢佳世、峯村リエなどなど)が出ているのにかかわらず…。
懸命に演じる俳優たちを見ているのは楽しい。
この作品はテキストを現代に翻案して書き直し、
もっと濃密な空間を設定して上演すれば言葉が届く舞台になったのでは、などと夢想する。
5月28日まで。