作・演出:松本哲也。本作はもともと2014年の12月に新宿眼下画廊にて
「僕たちが好きだった川村沙也」の第一回公演として上演された。
それから2年半が経ち、当時の戯曲を引き継ぎつつ、登場人物の関係性を変えて
まったく印象が違う舞台にされたらしい。
というのをアフタートークで伺い、この2年半で松本さんの演出などのチカラ、
人間の捉え方がさらに複雑に多面的になって進化している!ということがわかった。
劇場内に入るとまるで円形劇場のようなしつらえ。
三鷹のすごいところは劇場内を観客席も含めてどのようにでもしてくれるところ。
今は亡き、名劇場だった「青山円形劇場」を6割くらいに縮小したような空間。
客席は100人程度だろうか?
舞台の真ん中に12畳ほどの和室があり大きな座卓が真ん中に置かれている。
部屋の隅にお茶をいれる旅館などにあるような丸い入れ物があり、
中にはお茶葉の入った「茶筒」やグラスや湯飲みが入っている。
その横に大きな土瓶と給湯ポットが置かれている。
劇場に入ると、受付のスタッフが全員喪服を着ている。
舞台が始まる前のアナウンスでわかったのだが、ここは大西家の通夜の斎場の控室。
大西家のお母さんが長く入院していたのだが先日亡くなった。
場所は宮崎の都城の近くだろうか?
アフタートークで都城弁がきちんと話されていると
観客で都城出身の方がおっしゃっていたので、そうなのだろう。
東京から大西のお母さんの娘(川村沙也)が男(瓜生和成・東京タンバリン)を連れて通夜に戻ってくる。
いきなり男を連れて来たので驚く宮崎に住んでいる兄(松本哲也)とその妻(荻野友里・青年団)。
奥の部屋では近所の方々が集まって通夜の席で宴会が始まっている。
その宴会場とは別の場所であるこの和室を借りて
兄は妹(川村沙也)にまずは事の真相を訪ねようとするのだが…。
そこに、兄の長年の友人である同級生の男(山田百次・劇団野の上/青年団リンク ホエイ)が
妹の菜々ちゃんに会いにビールを持ってやってくる。
さらには、兄の息子で中学二年になる清人(尾倉ケント)も登場する。
この6人の関係が会話と会話の空気そして俳優たちの演技と目くばせなどで
徐々に明らかになってくる。
セリフにはない言外の意味が見えてくる。
脚本家の向田邦子が、たいていの日本人は「本当のことは言葉にしない」
とお書きになっていたことを思い出す。
この人はこの人に対してどのように思っているのか?過去、どんなことがあったのか?
そして過去のことをこの方々はどのように思っているのかが解き明かされていく。
たぶん、観客によってその感じ方や解釈は異なるだろう。でもそれがいい。
それぞれが感じたことを終演後みんなで語り合い考えてみるということが
演劇のとても優れた部分だと思うのだがいかがでしょうか?
凛とした荻野友里の姿勢がいい!座り姿や手の動きまでもが見えてくる濃密な空間だからこそ
そこから生まれてくる何かが舞台の中から見えてくる。
自分の演劇観劇歴の中でも印象に残った舞台で、弘前劇場の「冬の入口」というのがある。
お通夜の日の弘前のお話だった。
さらにもう一作「月の岬」という松田正隆作で平田オリザ演出の名作。
「月の岬」は長崎の海沿いの街の話だった。ここにも葬式のシーンが登場する。
本作を見終わって、何とはなしに、この二本の舞台を思い出していた。
上演時間1時間40分。28日まで。静かながら濃密な人間関係が描かれた佳作です。