工事現場のプレハブ小屋。休憩室になっている場所には
現場で建築工事を行っている職人さんや警備員さん清掃の方、
ゼネコンの会社の人たちなどがやってくる。
ここで工事をしている途中で、建設現場から遺跡らしいものが見つかったらしい。
さらに、縄文時代後期のもの?とみられる遺跡を発掘するために、調査をしにやってきた
考古学などを研究している大学院生や大学学部生や
工事の様子を報告するためにやってきた文化庁の職員など
もこの休憩所にやってくる。
コンパネが敷かれただけの床。一か所コンパネの間に隙間が出来ている。
周囲は足場などを組むパイプでセットが組み立てられている。
梅雨時期なのか?雨が降り続き、この日は工事がお休みである。
ある1日の昼下がりから夕方にかけてが描かれる。
この日は、職人さんの篠塚さん(小林智)が山形の工事現場に異動するので
夜に篠塚さんの送別会が開かれることになっている。
様々な人間模様が彼らの会話を通じて見えてくる。
「人に歴史あり!」と舞台上でこのセリフが発せられるが、まさに一人一人の人生を垣間見る感じ。
私たちはそれを見て、彼らの来し方行く末を考え、時には案じたりする。
例えば発掘調査に来た大学院生のカップル(藤松祥子・前原瑞樹)。
女性は実は大学院から海外の留学を考えているのだが彼に言えないでいた。
そのタイミングがなかなか見つからず今日まで来てしまった。
二人きりになるシチュエーションでそのことを切り出す藤松祥子。
2年近く離れてしまう事実を知り、男は…。
また、篠塚さんの同僚の職人である山内健司のところには娘(荻野友里)が
婚約相手(伊藤毅)を連れてやってくる。IT企業の起業家らしい。
父一人娘一人の家族。母親は娘が小さいときに亡くなった。
父はなかなか婚約相手に向き合おうとしない。
こうしたいくつものエピソードが並行して描かれる。
多様性を排除しないゆるくて包容力のある空間がここにある。
この包容感、来るものは拒まず、まずは話してみましょうか?
という感覚こそ青年団そのものであり平田オリザがそもそも持っている哲学ではないだろうか?
他者を排除しないコミュニティの中で居場所を見つけて生きていく。
時々一体となるときがありいつもはバラバラ。
そんなコミュニティがあることの健全さが、今の時代ポピュリズムなどという言葉の下で
失われつつあるのではないだろうか?
生きていくことは楽しいことばかりではないけれどそれも含めて人生である。
しみじみとした中に私たちの暮らしがある。
その暮らしをまっすぐに見つめようという揺るがない視点がある。
平田の戯曲にはいつも、詩情を秘めた知的な話が挿入される。
それは工事現場だろうがイスタンブールの安宿であろうがソウルの日本人家族の家であろうが同じこと。
精神はどこにでも宿るのだ。
本作でも井伏鱒二の「厄除け詩集」の中の「勧酒」の訳詞が引用されている。
「照鏡見白髪」
出世しようと思うていたに、どうかする間に年ばかり寄る、一人鏡にうちより見れば、皺のよったを憐れむばかり。
上演時間110分。7月2日まで。
2018年1月より、全国5か所で公演が予定されている。