ケラリーノ・サンドロビッチがアントン・チェーホフの戯曲に
真正面から取り組み4大戯曲を最高の環境とキャストで上演しようと言う
コンセプトで行われている、KERA meets CHEKHOVの上演も本作で3作目となるらしい。
1作目は「かもめ」2013年(@シアターコクーン)
そして2015年「三人姉妹」(@シアターコクーン)と来た。
「三人姉妹」でKERAは宮沢りえと初めて仕事をしたらしい。
その宮沢りえ再びで、黒木華、段田安則、山崎一という
シスカンパニープロデュースならではの豪華なキャスト。
そしてシアターコクーンから新国立小劇場に場所を変えて
より濃密なチェーホフの世界が描かれる。
宮沢りえが、同じ新国立劇場の中劇場で野田秀樹の「桜の森の満開の下」の
初舞台で走り回っていたのを思い出す。2004年。
そういえば黒木華さんも野田秀樹の舞台が演劇人生の始まりだった。
チェーホフは44歳で亡くなっている。ワーニャ伯父さんは47歳という設定。
このころのロシア人の寿命は50歳くらいだったんじゃないだろうか?
人生の大半を過ごしてきてわかってくることがある。
チェーホフは若くしてそんなことがわかってしまったのかも知れない。
「ワーニャ伯父さん」を書いたのは37歳の時だった。
医師でありながら文筆活動を行う。
そのことで何らかのバランスを取っていたのではないだろうか?などと想像するのである。
そして、チェーホフの戯曲には、なぜ私たちはこんなに苦しいのに生きているのか?
なぜこんなに退屈なのに生きているのか?ということが繰り返し描かれる。
ロシア革命が起きる以前。
地主と小作人たちの格差、さらには貴族階級、インテリ階級と庶民との格差がとても拡がった時代。
現在も、再び資本主義経済下における格差が拡がって来ている。
そんな時代にチェーホフを上演することの意味は何だろうか?
日々労働してつましく生きていくことの大切さに気付く、
そして、貴族やインテリ階級の「表層さ」を悲しそうな顔で見つめ続ける。
そんなある種、自虐的な視点こそまさにチェーホフらしさと言えるのかもしれない。
KERAは戯曲の持つそんな本質から目をそむけずに丁寧に向き合っていく。
舞台の上ではドラマチックなことはそんなにない。
時々KERAらしい、同じ言葉の繰り返しやノリ突っ込み的なセリフで舞台が沸く!
でもそれは枝葉末節のことであり、退屈な日常の素晴らしさを淡々と描いていくというのが
本作のいやチェーホフの特徴ではないだろうか?
岩松了が演出のチェーホフとの大きな違いは、セリフの「間」にあるのでは?
などと見ていて思った。KERAの演出はその「間」の間隔が速く、
岩松さんのそれは、「間」の時間や空間(俳優の配置?)が大きい!
実際のロシア人は二人の演出の違いを見てどのように感じるのだろう?
などと想像をめぐらしながら
私にとって初めてのKERA meets CHEKHOVを楽しんだ。
素晴らしい俳優に対して丁寧に演出された舞台にはそれだけで価値がある。
1階のロビーでヘアメイクの大和田一美さんと電通にいらした白根さんとバッタリ!
さらにはスプーンの向井さんや俳優の高橋克美さん浅野和之さん、
村岡希美さん池谷のぶえさんなどいらしていて客席も豪華!でした。26日まで。