脚本:長田育恵、演出:田中圭介。宮沢賢治のことを知らない人はいないだろう。
宮沢賢治は37歳で亡くなっている。
その短い時間に創作したいくつかの文章が今でも愛され古典文学として読まれ続けている。
自費出版で出したいくつかの童話や詩(「注文の多い料理店」「春と修羅」)、
そして死後にまとめられたいくつかの出版物。
商業主義とは対極の内なる創作の意欲から生まれたこれらの作品は
その後、何世代にも渡って読まれ続けられている。
まるで画家のゴッホのようである。
生きているときは光があたらず、その死後に多くの人に知られることになった。
劇作家の長田さんの宮沢作品に対する愛情が本作には満ち溢れている。
というのも長田さんはプロフィールにもあるように、
戯曲セミナーにて井上ひさしに師事していた。
井上ひさしは宮沢賢治をとても良く調べており、彼の書いた宮沢賢治についての文章はとても面白い。
それを読んで宮沢賢治という人物は30代の半ばまでは
やんちゃできかんぼうのわがままで自分勝手な男だったことを知った。
そんな男が、どんな心の変化があったのかはわからないが、
彼の晩年に「グスコーブドリの伝記」などの自己犠牲の物語や、
有名な「雨ニモ負ケズ」を書いている。
本作は、宮沢賢治に対する深い理解と知識から生まれたのだろう。
杉山至の美術が素晴らしい。
舞台は花巻と釜石の間にある「仙人峠」という鉄道駅舎にある宿屋の居間。
ここから大橋という釜石につながっていく鉄道の駅までは
歩いて峠を越えなくてはならない。1933年夏の話。
この年の3月に岩手の海岸部で地震による三陸大津波が発生した。
賢治はこの年の9月21日に亡くなっている。
農学校で教鞭を執っていた賢治は
教え子?がその津波の被害に遭った。彼の農地が津波の水に浸され塩害になったらしい。
その土壌を改良しにいくために炭酸石灰(?)という肥料を持って
故郷の花巻から大きな鞄を携えて釜石に向かう途中。
賢治は体調不良で高熱が出て仙人峠駅の近くで倒れているのを発見され駅の宿屋に運びこまれる。
折からの大雨が続き仙人峠を越える道が土砂崩れで通行止めになってしまった。
鉄道の乗客たちはこの宿屋に足止めされてしまう。
ここに集まった、さまざまな人たちが描かれる。
口減らしで釜石のお店に売られていくだろう少女(神保有輝美)。
浅草の踊り子とその男。
彼らは東京で働くことができなくなったのだろうか?
釜石の炭鉱で働くことになったらしい。
そして、地元の人たち、と宿屋の主人(佐藤誓)とその義理の娘(石村みか)。
娘の夫は津波で流されて行方不明。いまだに遺体は見つかっていない。
東日本大震災の記憶がよみがえってくる。
3日間かけて宿泊者と地元民で力を合わせて土砂を取り除く作業をする。
その3日間がこの舞台で描かれる。
ただ日々を生きていくというだけのことに
本当の幸せがあるということが伝わってくる。
なぜかぐぐっと胸に来たのが少女(新保有輝美)に宿の若女将の石村みかがおにぎりを渡す場面。
おなかがものすごくすいていただろう少女が
おにぎりを口いっぱいにほうばって懸命に食べる。なぜだか泣けてくる。
生きるということの意味が直接伝わってくる。
映画「千と千尋の神隠し」で「千」が「白」に大きなおにぎりをもらって
泣きながら食べるシーンを思い出した。
宮沢賢治には妹が居た。24歳で亡くなったらしい。
賢治は妹のことが大好きだったことがこれを見るとよくわかる。
「グスコーブドリの伝記」の「ブドリ」の妹の「ネリ」は賢治の妹のことだったのでは!?
賢治役の山田百次がいい!
2時間10分。19日まで。