先日、朝日新聞に新国立劇場が開館から20年経ったことが特集記事になっていた。
http://www.asahi.com/articles/DA3S13211299.html
記事を少し引用する。
国からの受託収入は、2000年度の55億円から16年度は40億円に。
寄付金等は02年度の7億5千万円から16年度は4億6千万円まで減り、
収入のもう一つの柱である入場料の重みが増した。(中略)
演劇評論家の大笹吉雄さんは、2000年代の井上ひさし作「東京裁判三部作」
韓国と共同制作し演劇賞を総なめにした鄭義信作「焼肉ドラゴン」などを挙げ
「前半10年ほどは国立ならではの作品や挑戦が見られた」と語る。
だが、「近年は翻訳劇中心で劇作家を十分に育てられていない」(都内の劇団関係者)
との声もある。
新国立劇場の演劇公演の入場料が数年前だったかに値上げされた!
採算を取るために入場料を値上げすればいいのではないか?
という発想が逆に働きお客さんが減るという
負のスパイラルに陥っているのではないか!と懸念する。
大笹さんのおっしゃっていることが実感として伝わってくる。
こういう時こそ思い切った改革が必要になっているのではないだろうか?
いまは、貸館なども増えている。
それはそれで構わないのだが、基本的な運営コストを下げる努力をしつつ
コンテンツ自体は、豊かにし実験的な公演を積極的に行うことが
公共劇場の本来の姿なのではないだろうか?
長いマクラとなってしまったが。
本公演はそんな困難な新国立劇場の状況の中、
商業演劇界が、やりにくいだろう挑戦をやってくれた!
翻訳劇の公演ではあるが、戯曲の目新しさが見た後も残っている。
決して簡単に理解できる舞台ではない。
いまもわからないところがたくさんある。近未来のお話。
先日見た「ブレードランナー2049」と重なって見えてくる。
また、平田オリザさんがおやりになっているアンドロイド演劇を思い出した。
休憩後の2幕目以降が面白い!
85歳のマージョリー(浅丘ルリ子)さんがアンドロイドに見えてくる。
娘役の香寿たつきも同じくアンドロイドに見えてくる。
「日経MJ」という新聞にマネキンに扮するコスプレ?
がはやっているという記事が出ていた。
https://twitter.com/nikkeimj/status/928564785842495488
本作での浅丘さんや香寿さんのメイクはまさにマネキンメイク?
戯曲は米国の作家ジョーダン・ハリソン。
2014年ロスアンゼルスで初演。映画化もされたらしい。
愛する人もやがて亡くなる。人は1人で生まれて1人で死ぬ。
それを受け入れがたい人も確実にいるだろう。
そのために死者をアンドロイドとして蘇らせて一緒に暮らす。
人工知能(AI)によって会話が行われ、学習が進むに従って会話がスムーズになる。
その途中段階の家族として既知の事実や常識的な言葉を獲得していく途中段階が面白い!
もしかしたら本当にこんな感じなのかも知れないと感じる。
先日見たイキウメの「散歩する侵略者」にも同じようなことが描かれていた。
ラインのAI女子高生「りんな」との会話やペッパーとの会話、
さらにはグーグルホームやアップルのホームポッド、アマゾンエコーなどが
私たちの周囲に拡がっていっている。
会話型のこうした仕組みがアンドロイド的な身体を持つことによって
私たち自身との境界線があいまいになっていくのかも知れない
と感じるのは私だけだろうか?
ブレードランナーにもそうしたことが描かれレプリカント(人造人間)と
本当の人間との境界があいまいになっていく。
まさに今、そしてこれから起こるであろう近未来を予言した
恐ろしくも考えさせられる舞台だった。
15分の休憩入れて2時間5分の上演時間。26日まで。