鴻上さんがこの若手俳優を中心とした劇団を始めて今年で10年になるらしい。
若いチカラを世に出そうと純粋な気持ちではじめられたのだろう!
鴻上さんの純粋さは「青春」という言葉で今も発信し
創作を続けておられることで証明されている。
しかし、そうした純粋な気持ちの障害となるものが突然目の前に現れる。
そんな突発のリスクと私たちは常に向き合っていかなければならない。
それは高度情報社会という便利さと引き換えに
私たちが向き合わざるを得なかったものでもあるのだろう!
一瞬で情報が拡散され拡がる時代。
「レピュテーション」(評判)という名前で、一見大切なもののように扱われることに
誰も疑問を持たなくなった。
噂はその物事の本質なのかどうかわからないのにもかかわらず
それが「真実」(?)という言葉に変化してしまい、
その「噂=真実(?)」が無限に拡張される。
昨今、有名人が必ずメディアの前で謝罪する報道などはまさにその典型的な例だろう。
その怖さを以前は「世間」と言っていたのだが、
その「世間」がさらに拡張したのが今の時代なのかもしれない。
それについての「恐怖」を鴻上さんは本作で描こうとした。
なぜ、そんなことを書こうと思ったのかについては劇場に置かれている
鴻上さんの「ごあいさつ」にリアルな話が書かれている。
ぜひ、開演前に「ごあいさつ」を読んでから舞台を見ると
いろんなことを考えるのでは?
本作のすごいところはその世間の「評判」と人の感じる「恐怖」というものを
「人間・AI・宗教観」などといった概念をひっくるめて
エンターテイメントの舞台にしてしまったところ。
前半はエンタメのギャグが滑ったりしているが、
そこにはこの舞台の本質はない!
天草四郎、似非の天草四郎、そして人工知能の天草四郎との対比が舞台後半で行われるのだが
ここのシーンがむちゃくちゃ面白い!
本当の意味で「信じる」こと。
そこから生まれた「神」という概念。
「神」を信じる「宗教」ということ。
そして「宗教」が発展して本質的な意味の宗教観から逸脱していくこと。
などなど、多くの問題点がここから見えてくる。
困っている人たちを救済したいという
純粋な気持ちから始まった「人を信じるということ」が
いろんなファクターによって変容していく。
そのことがデフォルメされ描かれる。
そして、このデフォルメが現在ではリアルなものになってしまっている。
また、劇中で「人工知能」を研究している会社の女性が
人工知能には「恐怖」「恐れる」という概念がないんです!
と言う言葉に感心した!
人間は「怖い」と感じられるから人間らしい!と言われて、なるほどAI(人工知能)は
そんなことを感じないんだな!とも思う。
人工知能やロボットに「つまようじ」を作り続けてください!
という命令を出せば世界中の木材がなくなるまで作り続けるのが
今の人工知能なのだ!と何かで読んだ話を思い出した。
人間なら樹木がなくなる「恐怖」を感じて命令に背く行為をするのかもしれない。
高度情報社会という「もうひとつの地球」の歩き方を私たちは真剣に考え
勇気を持って歩き続けるしかないのかも知れない。
鴻上さんのある種の覚悟を感じた舞台である。
小野川晶や橘花梨、小沢道成などなど若手俳優が魅力的!
28日まで、その後、大阪、愛媛、そして東京凱旋公演がある。