太宰治をモチーフにした演劇公演 第14回。三
鷹市には太宰治が眠っているお寺「禅林寺」がある。
太宰の命日である6月に毎年「桜桃忌」が禅林寺で行われ
多くの太宰治ファンがやってくる。
私自身、熱心な太宰ファンでもなんでもない。
「走れメロス」の読書感想文を小学校の時に書いたら先生に褒められた。
しかし、読んだ本のことをただ書いただけなのにという思いが強く、
大人になるまで感想文を書くということが嫌いだった。
そんな私がこうして演劇の感想文を書いている。
人生はどうなるかわからない。・・・・。
スズキ拓朗が振付・構成・演出。
コンドルズのファンならば知っている方も多いかと思うが。
スズキ拓朗はこの自らが率いるCHAiroiPLINでは
コンドルズとまったく違った独自の世界観を構築する。
それは一言で言えば「祝祭性」ではないか?と思うのだが、
その祝祭性と真逆にあるような太宰治!をモチーフにした演劇は
いったいどんなことになるのだろう??と興味津々で三鷹の劇場に向かった。
花をモチーフにしてその生涯と太宰の生涯を重ねて描いている。
種から目が出て花が咲きそして枯れていく。
枯れる前にその植物は種を残し次世代に伝える。
その根源的な生の営みを通奏低音のように響かせつつも
POPで祝祭性のある演出は健在!
太宰の世界観をスズキ拓朗の世界観で埋めるとこうなるのか?
というある種の驚きに満ちている。
しかし、その猥雑でごちゃごちゃとした世界観は
太宰が「生まれて来てすいません」などと言いながら生きていくときに必要とした
「女性」「酒」そして最後には「クスリ」などを獲得した時の世界と
通じるものがあるのかも知れない。
人は現世からまた別の世界に気持ちを持っていきたいがために
女性と交わり、酒を飲んで酩酊し、クスリを服用して
精神を高揚させているのかも知れない。
演劇やダンスで行われている祝祭性を含むこうした非日常感覚は
まさに太宰が現実から逃避して行こうとする
世界そのものなのかも知れない。
現代においての引きこもりやヲタク化もまさにそうした行為であり。
私は個人的にはそれは必要なものだと思っている。
引きこもったからこそ見えてくるもの、不登校だったからこそ見えてくるものがそこにはあり、
同様の感覚を持っていた太宰は
それを「小説」という芸術行為として
私たちに貴重な「種」を残してくれたのではないだろうか?
本作で描かれる太宰の女性遍歴のシーンが印象的。
何人かの女優と太宰役の俳優(ダンサー)が同じセリフを繰り返しながら
動きを繰り返すというもの。
マームとジプシーとはまったく違うのだが
そこにリリカルな二人だけのロマンチックな世界が見えてくる。
「いつまでいてくれるの?」「呑もうか?」「金貸そうか?」「金は…」(記憶があいまいだが)
このシチュエーションではこうした言葉がしりとりのように繰り返されダンサーの動きが反復される。
またCHAiroiPLINはいつも音楽の使い方が面白い!
ありとあらゆるジャンルの音楽が詰め込まれそれがすべて楽しい。
本物の祭りで使う大太鼓や小太鼓、グランドピアノに電子ピアノ
そしてアコーディオンからヴォイスパフォーマンスそしてコーラス、
さらには録音された楽曲が大音量でスピーカーで鳴らされるなど
多彩な表現が見るものを圧倒する。
特に出演者全員がコーラスでハーモニーを奏でるシーンには鳥肌が…。
これは劇場に行かないと体感できない!
上演時間100分。4月30日まで。