アンドレイ・タルコフスキー監督作品。彼はロシア人である。
では、何故スウェーデン映画となっているのか?
ベルリンの壁はこの時代まだ存在していた。
彼は、ソ連を離れ亡命し、ヨーロッパで創作活動を行なっていた。
しかし、あきらかにタルコフスキーの作品であり、
そのトーンは一貫したものがある。
荒涼とした自然とそこに居る人間を描く。
画面には必ず水が湛えられている。そして、フレーミングはあくまで詩情があふれ
、光の調子も柔らかいものに満ち溢れている。
しかし、この映画の半ばでトーンが一変する。轟音とともに地面が揺れ、
大音響とともに、電気や電話が通じなくなり、
画面のトーンが硬質な茶系のトーンへ変化する。
核戦争が起きたとラジオで語られる。
そこから主人公が自己犠牲を払い全てを捨てて、
神に自己を捧げることにより、また、交歓が成立することにより、
現実の世界が取り戻される。
そういうことを希求した映画である。映画の冒頭に出てきた、
オシの男の子は、声を取り戻す。
抑圧された世界から自由を希求して、平穏な世界へと向かって行きたい。
そんな気持ちが溢れた映画になっている。
しかし、いつもながら、なかなか理解が出来ない部分が、いくつも出てくる。
特にキリスト教の示す意味が理解できない。
単なる勉強不足ということは明らかだが、大概の日本人はそうだろう。
冒頭に宗教音楽のバッハのアリアとともにレオナルドダヴィンチ
(
これは、作品解説から引用。HP参照。)の宗教画がタイトルバックとなり
延々と映し出される。
また、主人公の元俳優の誕生日プレゼントに、
キリストを描いた宗教画の画集が送られるシーンもある。
そしてマリアに自らを捧げに行く。
これらのことにどのような意味があるのかが、
いまいち理解出来ないまま映画は進んでいくのだ。
そして、男は家に火を付け、狂気となる。
理解出来ないまま、物語は進み、世界が一変し、また戻り、再生を始める。
そしてタルコフスキーの息子を表しているであろう子供は声を取り戻し。
映画は終わりを告げる。
最後に「この映画を息子に捧げます。確信をもって。」
というような意味の言葉で締めくくられる。
ここの本当の意味は何だったんだろう?
2006年のカンヌ映画祭でいくつもの賞を受賞し、
授賞式にはタルコフスキーの本当の息子が壇上に上がったらしい。
そして、タルコフスキーは肺がんが原因となり54歳でこの世を去ることになる。
この「サクリファイス」が彼の遺作となった。