作:古川健。古川さんが、2016年夏、相模原の障害者施設で起きた
「障害者施設殺傷事件」をテーマに戯曲を書かれたと聴いて、
とっても見たいと思っていた。
なかなか自分のスケジュールが見えず、行けそうだと思って公演のWEBサイトを見ると
「すべて売り切れ」とあった。当日券は事務所に連絡を!
ということで電話したら1時間前に来て並んでくださいとのこと。
会社を早退して向かったが1時間前を過ぎていた。
そこで、整理券をもらい入場料を払って開演5分前に来てください!
ということになった。
整理番号順に席に案内され、ついに階段に補助席が出て
その最後部に座ることが出来ギリギリセーフ!
上演時間休憩10分ほどを入れて2時間25分くらい。
現在、公判中の案件を実名でこうして舞台にすることは
演劇だからできたことなのでは?超満員の客席がシーンと静まり返る。
舞台では事件後の被告人の弁護団に新たな弁護士が加わるというところから始まる。
もともとの死刑廃止論者である熱血な弁護士。
彼が被告人と接見して、起こしてしまった事件で多くの方々に迷惑をかけたことに
関しては生涯をかけて謝罪すると語る。
しかし、意思疎通のできない障害者に生きる意味はないと主張し続ける。
生きる意味のない人たちは安楽死した方がいい!と言う被告人の考えは揺るがない。
それを、聞いた弁護士は被告人を許すことが出来ず
この裁判の担当をいったん降りようとするのだが…。
先日読んだマルクス・ガブリエルの「なぜ世界は存在しないか?」の中で
人間の最大の特徴は「意味」を見つけることとあった。
本作での「生きる意味がない」という「意味」も
人間が決めたことでしかないと今は思える。
この戯曲で描かれていることは幾層にも積み重なった問題が
複数絡み合って複雑なまま進行していく。
これこそ、古川戯曲の真骨頂!複雑なものを複雑なまま提示する。
それは同時に観客に問いを投げかけることになる。
観客は上演中、ここで描かれる諸問題について考え始めることになる。
障害者差別の問題。死刑を行うという制度に関する問題。
人が生を受けてこの世に生きているということは、どういうことか?と言う問題。
などなどが並行して描かれる。
寛容な精神を持って、不寛容な人たちをも許容し、
ともに対話を重ねながらいきていく。
強者も弱者も同じようにその環境の中で出来ることをして。
そのような「世界」を作ることがこれからの私たちに、
いや、世界中に生きているものたちに必要なことなのでは?
というメッセージが伝わってくる。
この世に生きているものの存在を故意に奪うことは決してしてはならない!
国家や組織がその「イノチ」を軽く扱い、戦争やテロという行為に
簡単に走ってしまうことこそ、私たちの最大の原罪なのではないか?
そんなことが伝わってくる。
宇宙も生物もすべてのあらゆるものが「無」から生まれ、最後には「無」に帰る。
その「無」と「無」をつなぐ「貴重な間」をいとおしみ
生きていくことが私たちが最も大切にしなければいけないことなのでは?
と古川戯曲に教えてもらった。演出:小笠原響
金網を使った設定とSNSの映像演出が効いている。
2月11日まで。
私たちがこれらのことに関して生涯をかけて
考え続けなければならない問題提起がここにある。