『ブックカバーチャレンジ』89(book cover challenge vol.89)
89冊目は「アーミッシュの赦し」(@亜紀書房)。
初版発行は2008年。著者はドナルド・B・クレイビル、
スティーブン・M・ノルト、デヴィット・L・ウィーバー-サーカー。
翻訳は青木玲。
本書の副題には「なぜ彼らはすぐに犯人とその家族を赦したのか」とある。
原題は「AMISH GRACE」。
アーミッシュと言う米国やカナダに住んでいる人たちがいる。
「刑事ジョンブック・目撃者」(1985年公開)という映画があった。
ハリソン・フォードがまだ若かりし頃の映画。
この映画を見るとアーミッシュの暮らしぶりが見えてくる。
電力会社からの電気などを使わず極力自然の摂理の中で生きていく人たち。
洋服や家具もすべて手作りでそれらのものを長く使い
基本自給自足がベースとなっている。
車も持たず馬車で移動する生活。
農業と牧畜をして食べ物を得る。
宗教は敬虔なキリスト教で「アナバプテスト」という宗派になるらしい。
こうした人たちが今も同じスタイルで暮らしていること自体が興味深い。
では、本書は何故書かれたのか?
アーミッシュについて書かれた「WIKIPEDIA」から引用する。
「2006年10月、ランカスター郡の小学校に「神を憎む」という
男が闖入し児童や教員を銃で殺傷する事件が発生し、
13歳のアーミッシュの少女が、自分より小さな子供に銃口が
向けられた際に身代わりとなって射殺され、その妹も銃撃された。
その後彼女らの祖父は犯人に恨みを抱いていないことを表明し、
犯人の家族を葬儀に招いた。」
という事件の詳細な顛末を描いたものである。
私はこれを読んで衝撃を受けた。
殺された遺族が犯人を恨んでいませんよ、とわざわざ
直接、犯人の家族を訪ねたということ。
犯人自身は自ら拳銃で自殺したらしい。
殺された遺族たちは普通なら犯人とその家族に対して
恨みを持ってしかるべきだろう。
敵討ちなどの物語や韓国ドラマや映画の中でよく登場する「恨」(はん)の
感覚とは真逆の思想。
そして筆者たちも「なぜ赦したのか?」ということを
克明に取材し解き明かそうとしている。
アーミッシュの信じる教えに沿って決して争わないということが
こうした形になって現れたのか?
相手を「赦す」ことによって自らも「赦され開放される」
ということは確かにわかる。
「赦せない人」を「赦す」ことによって自分が救われる。
アーミッシュの人たちは何故そうした道徳心を持つようになったのだろう。
この事件と本書に書かれたことは私の中で長く大きな問題として
くすぶり続けている。簡単に答えが出るものではない。
しかしながら、こうしたことを実際に行った人がいるということは、
ある種の奇蹟なのかも知れない。しかしそれが事実でもある。
奇蹟が起きることによって私たち人間は
世界の感じ方や考え方が大きく変わっていくのだろうか?
宗教心とか信心という言葉を超えたような
アーミッシュの人たちのこの行動は
とても強い信念みたいなものから生まれているのか?
いまだにわからない。
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