中島敦の小説と言えば、現代国語の時間に読んだことを記憶している。
大阪で進学校と呼ばれる高校にすすんだ僕は、
周りの生徒たちの余りの優秀さに度肝を抜かした。
こいつら、賢こすぎるうう!
そうこうしているうちに、英語がさっぱりわからなくなり、
物理や化学もちんぷんかんぷん。
体育と音楽だけは上位のアベレージを維持出来たのだが、
勉強ものは、ほとんど全滅というホウホウの体の状態だった。
その中で唯一出来た科目が「現代国語」。
作者の意図は理解してなかったかも知れないが、
出題者が求めている答えを日本語と言う文脈の中で見つけるのが
得意だったということに過ぎないことは知っている。
中島敦の世界観は独特だと思った。
古典ファンタジーとでも言うのだろうか?
中国の山奥の幽玄な世界が文体から溢れ出る。
漢学と儒教の素養があった彼は20代から小説を発表し始め、
30代前半に肺炎で死亡する。
その短い中に、凝縮された文章。
決して、彼はなくなるまで幸せだったかどうかわからない。
しかし、彼が短い生涯の中に残した魂が、
この舞台を通じて眼前に現れるのだ。
野村万歳構成演出の舞台は、シンプル。
三日月状の3尺ほど高くなった台が、能舞台とも思える簡素な場所の真ん中にあり。
一番高いところに、御影石の大きなブロック状のものがある。
まるで、棺おけや墓石にも似た何かが置かれている。
舞台は2場構成。「山月記」は虎の出てくる話。
野村万作の演技がこなれすぎており、
渋すぎて何ともわからない。
伝統芸能を見慣れた御仁ならば、その違いがわかるのだろうか?
僕には何とも言えないということだけしか、言えない。
詫び寂びがそこから見えてくるまで、どれくらいかかるのだろうか?
二つめの「名人伝」はわかりやすくて、面白かった。
弓を射る名人の話。
それが行き着く先は「弓」なんて要らないという
哲学的な思索をするものになっていくという、何とも奇妙奇天烈な話。
荒唐無稽な中に、ものごとの真実が隠されている。
そのことを感じさせるメッセージを受け取って
このシンプルで力強い舞台は終わった。
昨年、朝日&読売舞台芸術賞を獲得しただけある、
伝統演劇と現代の手法が緊張感をもって調和した舞台となっていた。