長塚圭史書下ろし、最新作で新国立初演出。
まだ30歳の彼が、新国立に。
12月にはチェルフィッチュの岡田利規が新作をやる。
若い世代が、この数年で、どんどんと出てきた感じがある。
その集団の中でトップランナーとでも言うべき才能が、この長塚圭史。
僕は、彼の才能を、役者としてもかっている。
彼が出演したシーンは印象深く、しかもこころに残る。
強く主張するわけではないのだが、背筋がスットしているような佇まいを見ていると
爽やかな気持ちになるのだ。
さらに、僕の実弟にどことなく似ているというのも理由のひとつかも知れない。
以下、ネタバレ含みます。
舞台は真ん中にたよりなく置かれている。
奥と手前で挟んで見るような形になっている。
東京が大震災にあった後という設定。
僕の見た方角だと上手に1階部分が崩壊しており二階部分が一階となり、
下手には3階建てだっただろうアパートの一角がある。
奥へ抜けていく一本の道、その道が現実世界に向かっている。
建物の間は道路、いや空き地のようになっている。
その片隅に、ブロックで花壇のようなものが作られている。
全体の印象としては、静かな象徴的な世界を描いた舞台だった。
長塚圭史の一つの側面として変なものやマイノリティが出てくることが多々あるが、
そういったことを舞台の上から徹底的に排除した状態で挑んでいる。
どことなく平田オリザ的な手法を思い出させるのだが
長塚圭史のつむぎ出す言葉はまったく違う。
近未来の東京で、ここの舞台は危険な立ち入り禁止区域という設定。
そこに妹である、富田靖子と兄の近藤芳正が住んでいる。
作家の岩松了が押しかけてくる。
彼は、もう何も書けなくなった、いやこれまで何も書いてこなかった作家を演ずる。
近藤は以前、岩松の担当編集者だった。
そこに配給品を毎日持ってくる、警官役の菅原永二がからみ。
現実世界から売春の仕事を富田靖子に紹介した、峯村リエがからむ。
現実世界では、日本人ではない、中国人や朝鮮人たちが虐げられている。
これは、どこかで見たことがあるぞと思った。
この世界はまさしく、戦後日本の焼け跡と同じじゃないか?
空襲で家はなくなり、食料もなく、戦前から強制労働のために連れてこられた、
在日の中国人や朝鮮人は反乱し、かつ虐げられる。
働き口がないので女子は売春をせざるをえなくなり、
弱い者たちは、合成酒やヒロポンに逃避する。
同じことが、ちょっとしたことで起きるのかもしれない。
でも長塚が描きたかったことはそんなことじゃないんではないだろうか?
濃い人間関係の中から生まれてくる、一筋の光明。
それを象徴化したラストシーンはまさに美しい。
カーテンコールなどはいらない。
虚構は今回の舞台には要らないのだ。
小説や物語も虚構なのだ、その虚無感と創作の間で、作家はもがき苦しむ。
そのことがまさに長塚圭史自身なのではないだろうか?
大人しすぎるという意見もあるかも知れないが、ここを通過することに、
長塚圭史の今後への意味があると僕は信じている。