縁というものがあるんだなあと、つくづく思う。
打合せをしていたら、志らくのチケットがあるのでいかがですか?
とMさんから連絡をいただく。少し遅れてもいいですか?
ということで、30分少々遅れて中央会館へ。
今回は「心眼」(文楽師匠)「お直し」(志ん生師匠)「双蝶々」(円生師匠)
の十八番だったそうな。どれも、陰惨な話です。と志らくは書いている。
遅れてしまったので一席目の「心眼」は見られなかった。
「お直し」は借金で首が回らなくなった夫婦が「蹴転(けごろ)」
という淫売宿で商売を始めるという話。
「蹴転(けごろ)」という最下層の女郎屋があることを初めて知った。
広辞苑によると、天明(1781-1789年)の末ごろまで、
江戸上野山下を中心に下谷・浅草辺にいた淫売婦の俗称。とある。
お客さんの方から喜んで入ってくるようなところでなく、客を蹴って
転がして引き入れるというような意味から、「蹴転(けごろ)」と呼ばれたそうだ。
元、芸者の妻とはいえ、自分のカミサンを売るために客引きをする
という何とも酷い話である。最近、小劇場界では、このような話が多くなった。
落語にも、このような酷い噺があるんだなあと感心した。
やはり、「笑い」に対するものとしての「陰惨」なものというのは
必ず存在するのだろう。納得である。
三席目は「双蝶々」。やくざな息子が盗みや人殺しを重ね奥州へ逃げ
深川に舞い戻ってくるのだが、父親とも継母とも情を重ねることも
ないままに鈴が森の刑場で打ち首にされる息子。
死んでからやっと息子と父の気持ちが通ったのだろうか?
それを想う、継母の姿。陰惨ながらも美しいラストシーンがぐっとくる。
こんな陰惨な噺を作ったのが、円朝という噺家だったとMさんに伺う。
円朝のことについていろんなことが知りたくなった。
志らくの緩急自在に、本当にスピード感を持って描く落語は
いつのまにか惹き込まれ集中させられ、あっと言う間に終わりを迎える。