こんなことがあるのだろうか?
当日券売り場のキャンセル待ちの列に並んでいた。
シアタートラムの前は喫煙スペースになっていて
多くの人たちが煙草を吸っている。
煙たいなあと思っているところに、
「あのー、このチケット良かったら?」と言ってくれる方がいた。
思わずチケット代を支払おうとしたのだが、受け取ってくれず、
そのまま入ることが出来た。
舞台との縁みたいなものを感じた。
縁のない舞台は何回挑戦してもチケットを確保することが出来ない。
野田秀樹はパンフレットの中で、この舞台は決して泣けません、
感動しない舞台です。と言い切っていた。
しかし、観劇して、この言葉がまったくのデタラメであることがわかった。
野田秀樹の舞台はいつも観客の想像力を刺激する。
ミニマルな舞台セットと小道具、効果音と照明で様々な世界を作り出す。
ひとつの小道具がいくつの用途にも変容するのである。
まるで噺家さんの扇子や日本手ぬぐいのようである。
このロンドンバージョンではロンドンの女優が男性役を演じている。
セックスシーンを想起させる部分があるのだが
、ロンドンでの公演の際、このようなシーンを演じることに
女優さんたちは大きな抵抗感があるというところから、
このような方策になったそうである。
予備知識なしで見たので、カーテンコールまで、
その方が女優さんだとは気がつかなかった。
野田秀樹はこのロンドンバージョンでは女性の役を演じている。
それが、びっくりするほど魅力的なのだ。
歌舞伎の女形を連想させるような立ち姿、佇まい、仕草。
日本人女性のもつたおやかな感覚が見るものの気持ちを揺さぶる。
(以下、ネタバレ含む)
ラストに近いシーンで、息子の指を次々と切り落とした男が、
その指を封筒に入れて、ある人に送りつける。
その部屋には女とその息子と男がいる。
その三人が毎日同じ事を繰り返す。
男は朝のグルーミングを洗面所で行い、女はアイロンをかけ食事を作る。
三人でその食事を食べ、男と女はセックスをする。
この行為が何度も繰り返される、
ただ息子の指が1本ずつ減っていることだけを除いて。
同じ行為を繰り返すことによってその中から物語が醸し出されるとは
小津安二郎の有名な言葉である。
日本人に特有のものというわけではないだろう。
人間は生きるために毎日、同じような行為を繰り返しているのは自明である。
このシーンが何故か感動的に思えて仕方がなかった。
でもうまく説明できる言葉が出てこないのだ。
野田秀樹の当初の言葉はデタラメだと
確信に変わっていった。