4年前ユーロスペースがまだ渋谷南口の代官山へ抜ける場所にあったころ。
丁度、その頃しょっちゅうユーロスペースに足を運んでいた。
そこで毎回のようにこの映画の予告編を見た。
面白そうな映画だな?そして変な映画だな!
と思っていたことを覚えている。
子供たちの奇妙な頭、「ハレルヤ」の少年合唱団の美しいコーラス。
もたいまさこがハサミをもって子供を追いかけている。
さらにピンクの着物を羽織った変なおじさんが、
子供たちを追いかける。
その奇妙な印象が実際に見て変わった。
奇妙な印象という表層的なものの中に潜む、
子供の頃の郷愁や親子のつながり地域とのつながり、
そして子供たちのつながり。
大人が見る、子供の記憶を喚起させる、青春ムービーなのだなと思った。
予告編で、荻上版「スタンド・バイ・ミー」というような
スーパーが刻まれていたがまさしく、ある側面を言い表している。
西伊豆の松崎という貴重な景色が残された街での、現代のファンタジー。
この映画には携帯電話など一切出てこない。
子供たちは基地に集まり、放課後をそこですごす。
まさに、こっこっ、これはっつ!
僕たちの子供時代のことではないかいな!と驚いた。
僕の記憶にある鳥取県倉吉市での小学生時代。
家の都合で小学校2年生までしか居られなかったが、
まさにそのころの記憶を彷彿とさせる。
倉吉市内に住んでいた僕は歩いて2分の駄菓子やの隣の
散髪屋さんにマンガを読みにいくのが日常になっていた。
ある時期から親がマンガを読みに行く事をとがめるようになった。
マンガが読めなくなった僕は悲しんだ。
今に、なって思うと、親がとがめるようになった頃、
僕の散髪を自宅でやるようになったのだった。
それから僕は、大阪の小学校に転校する。
小学校2年生から就職で東京に出てくるまで理髪店に行った記憶がない。
現在は、新橋駅の高架下の理髪店に月に1度のペースで通っている。
「新橋ステーションバーバー」。
そのままのネーミングである。
本作は、誰の中にもあるバカな言葉や仕草、風景がきれいに切り取られている。
そして判で押したように、同じ女の子が好きになり、
彼らは、その気持ちを言うだけで満足なのである。
好きな女の子とどうこうなろうなんて
これっぽっちも思っていない。
もちろん、好きな女の子といっても
本当に好きだったのかどうかもわからない。
思春期の恋愛ごっこだったりするのだろう。
基地には当然のごとくエロ本が持ち込まれ、
少年たちは懸命に読みふける。
本当に、この映画は少年たちの行動を
僕たちの思い出としての、リアルなものを描いている。
ここには陰湿ないじめも塾も受験競争も何もない。
そのファンタジックな世界を再構築するための方便として、
吉野刈りという奇妙な髪型が使用されたのだろうか?
本当の自由とは何だろうか?
髪型の伝統に縛られながらも子供たちは自由に遊びまわる。
形式的なものにとらわれない自由が本当の自由?
本作で使用されている数々のクラシック音楽がいい!