「新文芸座」で現在上映されている、「マキノ雅弘監督傑作選」。
本日から任侠編として1週間日替わりでの上映。
池袋東口から風俗街を抜けて、その周縁あたりに「新文芸座」はある。
1階がパチンコ屋。最初、人だかりが出来ていたので、「えっ?」
と思ったらパチンコ屋さんに寒風の中並んでいるおじさんたちだった。
時刻は朝9時30分。
「任侠」という言葉も「侠客」という言葉も
中国の春秋戦国時代にさかのぼるそうな。
簡単に言うと「他人に対してその人を責任を持って引き受けること。
そこに自己の利害はない。」というのがもともとの意味だったそうだ。
それが、博徒やヤクザの世界に置き換えられて来たのだろうか?
「任侠」がなくなりつつある現代に、僕たちは「任侠」を持って
仕事が出来るかということを改めて考えさせられた。
そして、現在はこれらの映画のように簡単な二項対立ではなくなっている。
善と悪なんていうものが、どっちがどっちだか、わからなくなってしまっている。
僕たちはその複雑な時代に答えを出せないまま立ちすくんでいる。
映画は「日本侠客伝」が本所深川木場の材木運搬屋の話。
「浪速篇」は大阪港の沖仲士の話。
大正時代のその場所を想像しながら見られたのが興味深かった。
当時の映画美術の凄さを感じる。
木場なら辰巳芸者と洲崎の遊郭。
大阪なら、松島遊郭がきちんと描かれていた。
松島は、現在も「松島料理組合」という名で、
当時の面影の片鱗を感じさせてくれる。
本日は、トークショーとして映画監督の鈴木則文さんと
澤井信一郎さんの対談があった。
その中で鈴木則文監督がおっしゃっていた言葉が印象的だった。
マキノ雅弘先生は「人の『きずな』(絆)を描いた監督だったんです。」
鈴木監督は肺の摘出手術をされて、声が出しにくかったのにもかかわらず、
喉の奥からひねり出すように、このことを何度もおっしゃった。